政治の現象学 第1章 集団の成立

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第一章 集団の成立


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第一節 他者の発見

一 私は私と行動を共にする他者を発見し彼と二元的な関係を結ぶ

煌々と輝く街燈の光のなかで、革命のあらゆる衣裳をとりそろえて扮装したマドリードは、まるで巨大な夜の撮影所のようだった。(1)

 大衆的反乱の端初においては、いつもこのような光景が展開される。多数の民衆は、それこそあらゆる衣裳で扮装して反乱の舞台に励起してくる。反乱にとって、これはありふれた光景である。
 だが反乱する民衆の行動のカオスが、たとえば反撃してくる「敵」に直面してたちどころに散逸し、これがたんに大衆の暴動にすぎないことを証明するのも、実際にはしばしば起ることである。だからもしも反対に、民衆の反乱への熱狂がそのうちに大衆的集団の核を形成し、ここから集団の長い経験史を出立させるとしたら、行動のカオスの内部で何が起るのだろうか。あらゆる衣裳をつけて人びとが扮技する、この「巨大な夜の撮影所」に接近し、反乱舞台の任意の一場面を間近にとらえるところから、本書の記述をはじめることにしよう。たとえば——

疾クモ兇徒等潮ノ涌ガ如ク市中へ乱入シ、一整ニ鯨声ヲ揚ゲ、迅風ノ如ク市中ヲ通過シ、先駆ハ忽チ警察署ノ辺ヨリ猟銃ヲ以テ連発シ、裁判所警察署ニ狙撃乱入シ、両役所ノ書類ヲ引裂キ或ハ戸外へ投棄シ或ハ火ヲ焚キ之ニ投ジ、或ハ塀垣戸障子諸器物ノ嫌ヒナク手当リ次第ニ打砕テ、書類ノ紙片ハ市中ニ散乱シテ時ナラザル雪ヲ降ラシタリ……(2)

法学部に居る私達の耳に、経済学部の方向から危機に瀕した学友の叫び声が聞えてきた。その声を聞くやいなや我々は走った。理由もわからず、警備の人数の半分は走った。そして見た、経済学部前でのあの悲惨な争いを! 我々の仲間を、経済学部校舎の二、三階から右翼が攻撃し、仲間が続々傷つき、担がれて行くのを!
私は咄嗟に、仲間(何学部の学友であったのか、今ではもう知るすべもないが)と結集し、又、個々に攻撃をかけている仲間も引き入れ、五十人ほどで、都電通り側の窓から右翼のたてこもる校舎の中へ突入していった。(3)

 さていま、「潮の涌が如く」行動する民衆のうちの一人の私に注目しよう。私はいま「市中へ乱入」しようとしている。そして乱入しようとして私は、いまたまたまかたわらで行動を共にしている一人の他者を見る。彼もまた私と同じように、「警察署に狙撃乱入し」、「役所の書類を引裂」いている。あるいは、私の呼びかけに応えて、彼もまた「敵」のたてこもる建物の中に突入しようとしている、等々。要するに、私はそこに、いま行動を共にしているというかぎりでの私の同等者として、一人の他者を発見するのである。
 このような他者と私との間には、すでにプリミティブなレベルで、「活動を互いに交換する」(マルクス)ということがおこなわれている。行動する私の言葉や身ぶりによる呼びかけは、かたわらにいる彼によって瞬時に解読され、結果は彼の応答としての同行という形で私に帰ってくる。彼にとってもこれはまったく同様であって、彼の同意の応答は私によってすばやく感知され、こうして私たち二人の同一の行動が現に進行しているのである。
 だから一般的にいえば、ここで私たち両者において交換されている「活動」とは、行動スタイル(扮装!)の意味である。反乱のあらゆる衣裳で扮装した人びとが飛び交うなかで、私たちの同一行動は、両者の活動スタイルの意味の等価性を表現しているのだ。このような活動の交換は、ある場合にはすでに言葉の交換という形をとるであろうが、言葉を媒介とした呼応の関係が、何を「互いに交換」しているかは、いうまでもなく明らかであろう。
 だが、この行動スタイル、あるいは言葉の「意味の交換」ということについては、あらかじめ注意しておくべきことがある。つまりここでは、活動の交換にさいして、私と他者=彼とにまえもってそなわっていた共通の属性を前提にしてはならないということだ。なるほど、いまたまたま同一行動をとっている二人といえどもともに労働者とか学生とかであり、またすでに同一の集団に属する者であるというようなことは、現実の反乱の端初にもいくらでもあろう。それゆえ、いまここでの私と彼との同一性の確認も、たんにそれ以前の私たちの同等性を同一の行動において再認知(再発見)したものにすぎない場合も多い。けれども、いま、私の政治的経験史の出発点では、反乱した民衆相互の階級・身分あるいは所属組織などの同質性や均質性は、なんら記述の前提になってはいないのである。私のかたわらの彼の履歴や人格は、私には何も知られていない。他者たる彼は、私にとって文字どおり知らぬ人=他人であってよい。
 現実過程のこうした一種の抽象化の意味は、やがて明らかにされてくるであろうが、ともかくも本書の記述は、私と彼との行動の同一性を発見することから、さしあたって出発するのである。私と他者との社会的スタイルの等価性は、私が同一行動をとる他者をいま発見したかぎりで、たまたま実現されているにすぎないことだ。逆にいえば、私と他者との同等性は、大衆反乱のいま・ここでの行動の同一性としてしか確認しえない——そのようなレベルが、この記述の出発点に設定されているのである。
 それゆえ、同行者としての一人の他者の行動にいま私が確認するものは、他者そのものなのではない。彼が誰なのかは私にはわかっていないからだ。だから他者にたいする私の関係のうちで、他者の行動に私が読みとるのは、実は、私自身の行動の意味なのだ。いわば、私は他者=彼において私が行動するのを見るのである。
 しかしもちろん、私は何か呪文によって彼に乗り移ったわけではない。この関係には神秘的なところは何もない。それは、彼の行動スタイルに自分を見る、この「私」の構造を調べればすぐに明らかとなる。
 私はといえば、この行動においても、反乱舞台に登る以前からの固有の履歴と身体をもつ「個体」であり「主体」であることに、もちろん変りはない。けれどもこうした「個体」は、もともと、それ自体で自足してきたものでもなければ自足することもありえない。この私の主体は、同時に他者の存在を本質的な契機として形成された「対他的存在」である。深層心理学が「自我」と名づけ、またマルクス流にいえば、「社会的諸関係の総体」としてのこの私の存在性格こそが、他者とのスタイルの交換にとっても本質的なのである。
 それゆえ、行動するこの私の固有の身体的存在は、すでにして二重であり、私は同時に対他的社会関係である。この対他的関係としての私が、私の行動する身体において、まさに私の行動スタイル(言葉)として現象しているのである。まして、いま舞台でおこなわれているのは、私一人の身体的・動物的行動ではなく「活動の交換」である。
 それゆえ、私がいま同行者としての他者のうちにみるものは、私が対他的関係としての私を他者に外化し、私のスタイルを他者の行動のうちに映して再発見しているものにほかならない。他者は私の行動の社会的意味を映す「鏡」であり、私の行動のゲシュタルトである。このような意味で私は他者の行動において私を知る。同一の行動を通じて発見された、私の同等者としての他者は、こうして、実は他者としての私自身なのだ。
 さきほど私は、本書の記述の出発点であり、同時に政治的形成の母胎でもある反乱の舞台では、私と他者との関係にはとりあえず「行動を共にする」という以外になんの相互性も前提にされていない、と強調した。そして、以上のような私=他者の発見的な構造こそは、まさにこのことの端的な表現なのである。
 反乱舞台で行動する私の対立的な内部二重性を、同行者=他者へと外化しえてはじめて、私と他者との関係が最初の相互性を現実に生みだすのだ。
 だから、行動に励起した民衆内部における、このような私の他有化の実現は、さしあたってはたんに偶然的に生起したにすぎない。多数者の行動のうちで、私が任意の一人の他人に、私のスタイルを表現しようとして失敗する事例は、実際にはありふれたことである。むしろ、こうした社会的スタイルの交換の実践を通して、私は、私のスタイルの意味を表現し発見しうる同等者を選びとろうとするのであり、このプロセスが具体的にはいま、私と他者=彼との同一行動として実現しているのだ。これは、反乱の舞台のうちで群衆が一つの同一行動を形成していくプロセスの根幹である。
 さきに引いた事例をもう一度想起してみよう。そこでは、「私は咄嗟に仲間と結集し」た、と述べられていた。ここで私が「仲間」といっている他者たちは、どこの誰であるのか、まさに「今では知るすべもない」ような者たちである。「仲間」としての「結集」は、このように知らない者同士「咄嗟」の行動であった。それゆえ、この一瞬は、それ自体が新鮮な他者の発見であり、かつまた他者と本来的に関係している私の現実的再発見を意味するのだ。ありあわせの武器を把んで窓枠を乗り越えようとする私は、この一瞬に、さながら私の行動の鏡像のごとくに、私に同行する彼を認める。このとき私が彼に読みとるのは、「仲間」としての私の行動の意味である。いま・この瞬間に、私たちの相互性はあたかも新たなもののごとくに再生するのである。私は一人ではなかった! と。


二 私の二元的関係の鍵を彼だけが握るため関係はたえず挫折する

 このようにして、私にとっていま・ここで他者=彼との二元的な同等者の関係——「われわれ」、「仲間」——が発見された。私は一つの行動をおこし、あるいは一つの言葉を発して一人の他者がこれに同調的に応じてくるのを発見した。だから、この発見的な構造は、他者=彼の私にたいする関係においても、まったく同様に成り立っているといってよい。いまの段階では、私と彼を固定的に区別する理由は何もないのだから、関係はあくまで私=彼の二元的相互性である。
 だが、くりかえすけれども、ここで「われわれ」とは、私と、他者としての私との関係にすぎなかった。それは、私を他者の行動する個体に外化しえたかぎりでの実現にすぎない。だから、他者の行動が私の行動を通じた呼びかけを裏切る可能性は、両者の行動舞台が同一だといってもなおつねに存在する。事実、彼は裏切る。私は、彼が私とは別の方向に走っていくのを見、「われわれ」の結集はなしえず、「われわれとしての私」はただちに挫折する。すなわち、このレベルでの相互性はなおまったく一方向的であり、交換(交歓!)の鍵はただ他者だけが握っている。この他者の優位性をまえにしては、他者としての私の実現はたんに偶然のことにすぎないのである。
 しかし、にもかかわらず、私と他者の等価性が、両者の同一行動として実現される可能性を否定する絶対的理由は何もない(他者としての私の挫折もまた偶然である)。事実、共通の「敵」の行動を契機に、行動へと励起してくる民衆こそ、この可能性のたえざる母胎である。
 反乱の舞台における同等者としての他者の発見が、このように危うい運動であることは、十分に強調されなければならない。そこでは、他者の発見はなんら静力学的な交渉と比較によるのではない。なるほど、常識的にいえば、私と他者の二元的関係の成立は自明にみえる。彼は私と同じように労働組合の一員だ(共通の社会的属性)、あるいは彼もまた私と同じようにバスを待っている(定められた同一の行動への参加)等々、というように。だが、この自明性は、すでに一定の社会的協働の様式を前提にし、その形態の内部で自他を比較している事実からくるにすぎない。そこではすでに共通の意味世界が前提されているのだ。それゆえ、ここには他者=私の発見はない。見出されるのは、かえって固定された「われわれ」(何々会社労働組合員、等々)であり、他の様式から差別された(他の形態を差別する)共同存在でしかない。それゆえまた、私の社会的形態の外部には、もはや他人としての他者しか見出すことができない。常識が思いこむほどに、現代といえども社会的諸関係は均質でも透明でもないのだ。
 これに反して、いま発見された単純な人間関係には、スタティークな相互性は何もない。かえってこれは相互性の弁証法的運動の始動を告げている。私は私の行動の意味を、その特殊な個別性については何も前提にされていない一人の他者の行動に確証することによって、私は彼が私の同等者であると語りはじめている。だが私と彼との相互関係の成立はあくまで「いま・ここ」でのものであり、私たちの行動はいわば過去と未来から断ち切られている。そしてこれは、私が一つの実践途上にあるものとして過程的であるばかりでなく、他者との関係もまた何ものかに成っていくべきものであることを示しているのである。
 それでは、いま成立した私と他者との二元的な関係を転質させる、不安定の契機とは何か。発見された相互関係がそれ自体として構造的に固定せず、かえって相互性の弁証法的運動を始動させるのはなぜか。相互性のこの最初の段階で、こうした問題にあらかじめ注意を促しておくことが重要である。そのためには「他者としての私」ではなく、こんどは「私にとっての他者」の性格を、よりたちいって調べてみる必要がある。
 二元的な私と他者の関係において、この私にとっての他者とは誰か。
 他者はさしあたって私には、私の行動スタイルの意味を表現する存在として意義づけられたにすぎない。彼はあくまで私のゲシュタルトとしての他者であって、彼が本来誰であるかは私にはどうでもよいことだった。しかし、いうまでもなく、この他者にとってみれば、自分もまたあくまで一個の固有の自己(身体としての私)なのであって、このなま身の自己がそれ自体で他者の鏡としての役割をそなえているわけではない。鏡としての他者という意義づけは、たんに私にとっての意義であって、他者の身体にしてみれば、これは私によってしかけられた一つの社会的暴力である。
 だから、私にとっての他者=彼には、私と異った社会的「役割」がすでに負わされかけている。彼が私のスタイルを映し実現するのは、なにも彼が特別の個性(属性)をもつからではなく、たんに私に内在する二重性をスタイルの交換を通じて私が外化したもの、その意味では、彼とて私同様行動する一個人にすぎない。だが、私の実現が他者というなま身の個体によってしか可能とならないがゆえに、彼はなにか生れながらにこのような社会的属性を身におびているかに、私には思われてしまう。私の相互性実現の鍵を彼なる個体存在が握ることによって、彼の優位性は、彼に固有の役割であるかに錯覚される。こうした仮象がすでに生れかけている。これに反して私は、私の行動スタイルを同行者としての他者を通じてしか表現しえぬのだから、私自身の存在性格にはなんら特別の属性は存在しない。生得的属性ではなく、私に存在するのはただ一つの社会的関係だけである。
 別のいい方をすれば、他者たる彼には、自身のなま身の行動が、それに対立する社会的スタイルの表現形態となるという、アンビバレントな性格がすでに見えている。彼はその行動において私的な存在であると同時に、自分以外の他者の行動の社会的意味を映す存在として、私によって意義づけられる。これに反して私は、私の存在に内在する対立を役割的に他者=彼におしつけて、それ自体として自足しようとする。ここにすでに、大衆と大衆の鏡(鑑!)の関係の原型をみることができる。
 それゆえ現実には、いま成立した私と他者の関係がその後ただちに、一定の社会的役割の関係に頽落する可能性はつねにある。早い話が、上下関係や親分子分関係が生みだされ、あるいは再発見されて固定されるということがおこる。私は彼に見ならって彼のするとおりに行動したのだ、というわけである。
 けれども、いまの段階では、私たちはあくまで、行動に励起した個々の民衆のうちの任意の二人である。他者=彼といえども、あらかじめ、なんらの特権的規格も与えられていない。だから、私と彼の相互性をなんらかの構造的関係に固定化しようとする傾向は不断に挫折する。どだい、他者の存在におしつけられた社会的役割は、もともと私自身に内在する矛盾の外化されたものであって、両者の間の役割的関係の結果なのではないのだ。だから、私たちの相互関係の矛盾は——もし瞬時の解体を避けえたならば——、両者の役割の固定によってではなく、まさにその相互関係の運動によってしか解決されえないのだ。このような解決の形態こそ、以下でさまざまに「集団」と呼ばれることになるであろう。



第二節 アジテーターと大衆

一 私は二元的関係を他者たちにまで拡張して私の仲間を発見する

 さて出発点に帰って、反乱に励起した多数の民衆のうちで、私が発見した他者は、私と同様完全に任意で匿名的な存在であったことを再度想起しよう。私にとって他者は、特定の誰か一人ではない。そこで、私は行動のなかで、さきの他者のそばに同行するもう一人の他者を発見し、これと前同様の関係を結びうる。そしてさらにこれは、論理的にはその他の多数にまで拡張しうることであり、こうして、私とその同行者としての他者多数との、まったく同様な関係が、個々に多元的に成立する。私はいまやこの舞台で行動に励起した民衆の内部に、私とその同行者たちとの部分集合を発見する。
 一口にいってこの集合は、「さまざまな衣裳で扮装した民衆」のうちで、同一行動をとっている「仲間」である。「個々に攻撃をかけている仲間も引き入れ、五十人ほどで」、私たちはいま、一つの行動——「右翼のたてこもる校舎の中への突入」——に移っているのである。
 このことは、民衆個々人の行動への励起が、反乱の集団を形成するプロセスにつきはじめたことを示している。しかし、それはなお集団と呼びうるものからは遠い。ひとたびこの共同行動の内部をみれば、この「集団」の欠陥は明らかなことだ。
 すなわち共同行動する他者たちとの相互性といっても、私がたまたま、いま・ここで、他者たちをとらえたかぎりで存在しているにすぎない。私が自らのスタイルの意味を、他者の具体的行動のうちに発見的に読みとり、他者としての私を発見するという基礎的な構造は、関係が他者たちにまで拡張されても変りうるものではない。他者たちは個々ばらばらにその具体的行動において、私のスタイルを映している。この他者たち同士の関係は、なおなんら統一的に成立してはいない。私の集団は私の他者たちによる、私にとっての集団であるにすぎない。
 もちろん、他者たち個々人にとっても、それぞれに発見された集団がある。けれどもその場合も、集団は、他者たち個々人にとってそれぞれに偶然的だ。
 このように、この共同行動の内部で、私があれこれの他者たちを発見する仕方は、なお私的で偶然的なものにすぎない。自—他は、いわばでくわしたという関係であり、共同の行動の内的関係は一つのアナーキーであり、カオスであるままにとどまっている。政治の初体験と呼ぶべきものはまだ何も起っていない。だから、実際、この共同行動は、瞬時に解体する可能性をつねにもっている。
 しかし、一人の他者ではない他者たちの発見とともに、私たちの同一行動の内部は、いまや根本的な変化をとげようとしている。

大将トモ見ユル者二人、衆ヲ指揮シテ曰ク、
吾輩既ニ国ノ為ニ兵端ヲ開キ戸長役場又大宮警察署及裁判所ヲ破壊シ、其書類ヲ焼キ棄テタリ。官衙ヲ毀損スル既ニ政府ニ抗スルナリ。軍敗レバ必厳刑セラルベシ。衆此意ヲ得テヨク力ヲ尽シ必勝ヲ期セヨト小旗ヲ揮テ令ヲ下シ、後レテハ卑怯ナルゾ、進メヤ進メ、「エイエイヲヽ」。鯨波ヲツクリテ押出シト云。(4)

 ここにみられるように、私たちはいまや反乱した民衆がその最初の行動を終え、次の行動へむけ再結集をはかっている一場面を想定することができる。このような場面で、「衆」にむかって演説する一人の私に注目しよう。この私には、いまや多数の他者たちの一致したまなざしが集中し、そのなかで私は身ぶりをし、言葉を発している。ここではもはやさきに述べたような、私が他者たちの同一行動を個々に発見しているという関係はない。私と他者たちとのさきの関係は、端的に、転倒されているのだ。
 すなわち、さきには私の行動の意味の表現形態として意義づけされた、他者たちすべての位置に、いまや一人の私が立ち、他のすべての他者たちがかつての私の位置に立つという、逆の関係性が生じているのである。このとき、私以外の他者たちは、一人の私の個体存在が演じる行為のうちに、自分たちの行動スタイルの意味が映されているのを見ることになる。
 関係がこのように逆転されると、私の位置はもはや、他者たちとの以前のような関係にはとどまりえなくなる。私一個の行動は、いまや他者たちによって——私たちの属する共同行動の共同事業によって——分立され、一つの特別の地位におかれるようになる。逆に他者たちは、もはや個々ばらばらに私と関係するのではない。私という一人のなま身の人間の行為に、自分たちの行動スタイルの意味を集中的に表現することによって、この私の行動を媒介として、他者たちは相互に同等者として交通することができる。さながら貨幣のごとくに私を介して、他者たちは「活動を互いに交換する」のである。
 だから、彼らの共同行動の内部は、もはや自他が偶然にでくわすという二元性のカオスではない。他者たちによって他者たちから分立された一人の私——この私に媒介された相互性——が他者たちに成立することによってはじめて、彼らのアナーキーな内面は、一つの社会的関係によって結ばれた私の集団となる。
 たとえば、私はいま手を振りあげて、「官衙を毀損するは既に政府に抗するなり」と演説する。すると、私の他者たちは、もはや私との同一行動によって確認された同等者につきるものではない。ひとしく「政府に抗する」者たちとして、内面的な意義づけが与えられる。だからこそ、私の呼びかけに応えて「えいえい、おお」とくりだす大衆は、その成員相互に「此意」をよく得た者たちの集団である。彼らは敗軍ののちの「厳刑」を、自分たちすべての否定と心得た内面的な統一を生みだしているのである。


二 他者たち大衆の相互の関係を媒介する私はアジテーターとなる

 このような集団成員の行動スタイルを、わが身一身に表現する第三者=私も、もはやたんに、他者たちの行動を個々に表現するのではない。私は他者たちを結ぶ一つの社会的関係であり、人びとの意識と行動の総合を表現するものとして意義づけられるようになる。私にとっても、共同行動は集団としての一つの内在的相互性をもつようになり、多数者の行動の統一は内面化される。いいかえれば、このプリミティブな次元で、私は私の集団の共同性を体現し主宰する者となるのだ。私は、いまや一つの共同行動=集団と等価のものとなる。
 こうして、反乱する民衆のうちで、この私の私的で個別的な実践が、同時に、協働する多数者の行動の意味を総合し体現するものとなる。私は集団である。いや、むしろこういうべきだ——私という個体は、この「体現」という形でしかもはや自己を表現しえない存在だ。私が自分をどのように表現しようと、それは不可避的に「われわれ」のスタイルだ! この矛盾から私は逃れることはできない。反乱する民衆の行動が、彼らの内部的矛盾の外化=解決として必然的に生みだしたものが私だからだ。私は、自分の意志や、あるいは生れながらに他人とちがう資格をもっていたために、かくなったのではない。ただ行動をともにする他者たちによって、私は社会的にかかる者に仕立てられたのだ。
 けれども、私は次の反面の真実をも忘れることはできない。すなわち、私がかく仕立てられたのは、くりかえすが、この集団の成員たちが私をその体現者として役割的に分立したゆえなのであって、だから、私のこの位置から他者たちが排除されているかぎりにおいて生起したことなのだ。まさに、一方は「大将とも見ゆる者」であり、他者たちは大将ならざる「衆」となる。
 そこで、社会的にかく仕立てられた「私」を、ここではアジテーターと呼ぶことにしよう。そして、自分たちの社会的共同事業として、このアジテーターを分立せしめた私の他者たちを、アジテーターにたいする大衆と定義しよう。
 アジテーターと大衆という、この対の概念は、さきの「大将」と「衆」との区別をみるまでもなく、実際上の集団のありふれた構造に容易につなげられるであろう。早い話が、アジテーターを「衆」から区別するのは、指導者だとか知識人だとか、「よく口利ける者」だとかの、アジテーターの特別の属性によるのだと通常は考えられている。だがここでもふたたび、私がアジテーターの存在に仕立てられたのは、いかなる意味でもまえもって私にそなわっていた固有の特権的な資格のせいではないことに、注意しなければならない。アジテーターの形成史のこの段階では、誰がこの第三者の地位つくかは完全に任意である。それは集団のうちの私でもお前でもよい。アジテーターの匿名性は本来的なものだ。それゆえ本質的には、彼が何者であり誰であるかすら問題ではない。彼は社会的には、反乱民衆の多数者の行動スタイルが総合されている場面というにすぎないのだ。
 反乱民衆のうちの「大将」と「衆」の実際上の区別も、アジテーターの出生におけるこの匿名性にこそ逆に根拠をもっている。匿名のアジテーターの成立根拠が、かえって逆に、アジテーターをある特別の者に固定していく傾向をも生みだすのだからである。すなわち、アジテーターは、集団の他の全員がその行動の意味の表現形態として分立したものであるが、これとてアジテーターや集団の成員が、個人の恣意にもとづいて勝手になしたものではない。それは一つの共同の事業であり、社会的過程の産物として生みだされたものだから、アジテーターの地位は、一定の誰かに固定していく社会的傾向をもつのである。しかしそれは実際に誰なのか。
 ここで、アジテーターのもともとの位置の、錯覚的性格を思いおこさねばならない。かつて、私と他者の単純な相互関係の分析のさいにすでに指摘しておいたように、自己の固有の身体に相手の社会的スタイルを映すという対立的矛盾が、アジテーターのうちにはいまや集中して表現されている。彼が他者たちにとって社会的共同行動の「意味の鏡」だといっても、彼のなま身の身柄こそがこの鏡を成り立たせていることに変りはないのである。だからここから、アジテーターはなにか生れながらの存在として、他者たちを体現しうる特別の属性をもった者であるかに他者たちには思われるのである。あたかも彼は、アジテーターとして生得的で前(没)関係的な存在であるかのような倒錯が完成する。
 知識人あるいは党員または政治的能力があるがゆえに彼はアジテーターなのだ、と。
 アジテーターにたいする大衆の性格についても、これと同じようなことが生じる。前節の末尾でも指摘したように、大衆はその定義からして、アジテーターの行動スタイルに自己を映す形でしか社会的な自己を実現しえないものである。自らがアジテーターを分立することによって、かえってアジテーターの位置から自分を排除する者である。こうして、大衆には、自分たちが生れながらにして、いわゆる「大将」にたいする衆にすぎないかのような倒錯が生れる契機が存するのである。「ある人は、他の人が彼にたいして臣民たる態度をとるが故にのみ王である。ところが彼等は、彼が王であるが故に自分たちは臣民であると信ずる。」(マルクス)
 こうして、集団の成員たちによるこの錯視は、ついにアジテーターの地位を、ある特定の一人の者に固定していくことになる。集団は内部に最初の差別を生みだし、彼は集団を「代表する」者のごとくになる。そして、このような結果から集団を考える者は、集団とはもともとこうした内部構造をもった指導者の(による)集団なのだと錯覚してしまう。
 たしかに、いわゆる「指導と被指導」のヒエラルキーをもった集団は、現実にはまさに集団そのもののごとくである。この現実はまた、いま述べたようなアジテーターと大衆の分立と排除の関係に、確かな根拠をもっている。だがこの結果としての現実からしか出発しないのでは、集団の成立がかえってその解体の根拠ともなるような、内部の契機を見出すことはできない。のちにふれることがあるように、ここからは、怠惰な者たちのいわれなき「組織」ペシミズムか、あるいは「現実家」と称する者たちの政治のシニシズムしか生れてはこないのだ。



第三節 集団の成立

一 アジテーターの言葉は私の身柄から離れて私の集団を統合する

 それでは、特定の個人による現実の集団を、かえって集団の頽落形態とみなすような最初の集団は、どのようにして成立するのか。アジテーターの本来的匿名性の段階で、なお成立しうる集団とは何か。アジテーターの成立まで私の遍歴をたどってきたいまとなっても、この問いへの解答はけっして自明のものではない。
 なぜなら、前節のような私と他者たちとの関係性、および私を媒介とした他者たちの相互性の成立それ自体は、なんら集団なるものの成立を意味しないのである。次のような事情を考えればこの意味ははっきりする。
 たとえば、私たちの相互関係の現段階で、いま私が全員にむかって、「(おく)れては卑怯なるぞ、進めや進め」と叫ぶとする。たしかにこの瞬間、私の呼びかけは全員に解読されて実現され、私のスタイルには全員の行動の内面的総合が表現される。私はこのとき、一つの共同性に多数者を統合するといってよい。だが、この行動する集団にあっては、次の瞬間に、今度は別の一人=彼が路傍の岩に登って、「えいえい、おお」と鬨の声の音頭をとるということが起る。この瞬間には、多数者全員を統合するのは私ではなく、この彼だ。だからこのようにして、各人がアジテーターであるこの同一行動の内部では、匿名のアジテーターたちは各瞬間ごとに、ここ、そしてそこで、それぞれの集団を形成するのだといわねばならない。
 それゆえ、この集団の内部は、各人=アジテーターによる彼の集団の統合と、他者たちの大衆への排除との、果てしない競合・循環たることをまぬがれえない。たしかに、史上あらゆる大衆反乱の無数の場面で、無名のアジテーターたちの登場が記録されてきたように、いま・ここでの私による私の集団の内的統一は疑いのない事実だ。だが次の瞬間には、これは別のアジテーターである彼にとっても彼の真実であってみれば、この集団の統一は、各人による各統合の集合である限りにおいて、事実一つの集団存在であるにすぎない。だからその限りでは、集団への私たちの他有化、すなわち、各人を超出する一つの集団なるもの(集団としての集団)の析出は成り立ちえないのである。
 それでは、このようなアジテーターたちの「諸統合の集合」が、実際に一つの集団の統一として実現されうるとしたら、それは反乱民衆内部のどのような契機によるのか。もちろんすでに述べたように、アジテーターの本来的匿名性が頽落するかぎりは、特定の指導者の集団(スターリンの党)として、たしかに一つの集団は対自的に措定されうる。けれどもくりかえすまでもなく、ここではなお、各人がアジテーターである段階が固執されているのである。だからここでは、各人=私によるそのつどの総合として各人に遍在する私の集団を、たんに代数的に平均してみても、現実に内的統一をもった一つの集団存在の意味は了解しえないのだ。また、各人=私による多数者の諸総合を一つに統合するのは、職場とか地域とかの容器や環境なのでもない。さらにまた、敵とか他の集団とかによって、外から一つに措定される場合もいまは問題にならない。「一つの集団の統一性とは集団自身の所産である」(サルトル)ことを了解することこそが問題なのだからだ。
 実際、いま私は、私たちの同一行動を私たちの集団の形成へもたらすのか、それとも、この同一行動が「敵」から強制されたたんに受動的なものであり、したがって次の一瞬には散逸してしまうものなのかを証明すべき、現実の岐路に立っているのである。
 では、各アジテーターによる諸総合の集合に、一つの名前を与えるのは何か。集団の存在はどこからくるか——まさに、アジテーターの存在の本質が、彼の個的存在にあるのではなく、その体現する社会的スタイルと言葉にあることから生ずるのである。
 すでにアジテーターの析出過程が明らかにしているように、アジテーターに本質的に重要なのは、彼の個的な特定の「人格」ではなく、彼の身体に映されたかぎりでの集団成員の社会的関係であった。だから本来、個的ななま身の存在(身柄)すらアジテーターにとって本質ではない。集団成員の相互性にとってアジテーターの直接の意義は、そのうちで各自の活動を相互交換しうる、一つの社会的形態ということにすぎないのだ。だから各人=アジテーターたちは、この一つの社会的形態、一定のスタイルや言葉に、本来的に置き代えることができる。アジテーターが一人の特定の人間であるというのは、集団の社会的錯覚の結果であったが、これに反して、アジテーターにとってはそのスタイルと言葉こそが本質的である。
 だから、たとえば、スペイン革命の有名な指導者(ドウルティ)についてすら、次のようにいわれることになるのだ。

かれがいったいどういう存在であり、何者であったかは、知らされることがない。核心を衝いたことは、どう見ても語られていず、ドウルティという人間の特殊性は、個人的特色のかたちでは捉えようがない。こまごました逸話と見えるものの個人的な行為のはしばしに至るまで、浸透しているのは社会的身ぶりである。さまざまな描写や記述から定着されてくるのは、見紛いようのないプロレタリアのプロフィールだが、そこには人間の輪廓が見えていても、内面の心理は見えてこないのだ。ドウルティには感情移入は歯が立たない。まさにそのゆえに、大衆は自己をかれのなかに確認してきた。(5)

 このように、アジテーターは自分の身柄からすら分立し、そのうちで大衆が「自己を確認する」一つの「社会的身ぶり」にすぎないものとなる。だから、いまや同一の行動内部でアジテーターたちのこうした身ぶりがとび交うことになる。そして行動の同一性が保持されるかぎりは、この身ぶりは多様のものではあっても互いに相反するものではなく、一定の意味作用をもつものとして各人に解読される。「後れては卑怯なるぞ、進めや進め」と叫ぶ私の身ぶりと、「えいえい、おお」という彼の言葉とは、私と彼の人格や属性になんらの共通性も関係もない場合でも、ある同一の意味作用をもつスタイルとして全員に交換され読みとられる。このことは現実には、全員の即座の進軍として実現されていることにほかならない。無名のアジテーターたちの登場は、大衆反乱の顕著な事実であるが、アジテーターたちのこうした匿名性は、同時に、反乱の集団形成にとって本質的なことなのである。
 それゆえ、反乱の同一行動の持続とともに、ついにはアジテーターという一人の人間の存在すら、非本来的なものとして不必要となるということがおこる。「かれがどういう存在であり、何者で」あるか——「ドウルティという人間の特殊性」——は見えなくなる。彼は大衆にむかって語る。だがそれは彼が話しているのではなく、むしろ彼はその言葉(社会的身ぶり)そのものなのだといわねばならない。「指導者」のみかけに反し、アジテーターとは本来的に「無名」のものなのだ。
 こうした事柄は、特定の指導者の集団という通常のみせかけと、はなはだしく相反する現象である。ここでは、究極的には彼は現われさえしない。サルトルのいうように、ただ「いくつかの合言葉が流通する。貨幣が手から手へと流通するように、語句が口から口へと流通する。」*
*サルトル『弁証法的理性批判』Ⅱ(平井啓之・森本和夫訳、人文書院)


二 集団内をとび交う言葉は私たちの共同観念の成立を告げている

 さてこのようにして、同一の行動をとる成員相互を媒介し表現していたアジテーターたちは、自らの本性によって、自分の身柄からすら分立する一定の行動スタイル・言葉となる。実際、現実の政治組織は、外部からみてもこれを他の組織から区別しうる一定の行動スタイルと言葉をもつ。ブントの行動スタイルと言葉とが革共同のそれと異なるように——「沖縄解放」か「沖縄奪還」か——、そのスローガンがその集団であるということが起っている。
 もちろんいまはなお、たんに行動の同一性という基準しかもたない人びとの集団だけが注目されている。だからここでは、アジテーターたちの身柄の不均一性を反映して、彼らの「社会的身ぶり」はまさに多様のままにとどまっており、およそ画一性ということからは遠い。だがここでも、各アジテーターたちのスタイルは——どのように多様なものであっても——、同一行動の持続を現実的根拠として、ある一定の意味を表現しようとしていることに変りはない。
 それでは、アジテーターたちから分立した行動集団のスタイルと言葉は、それ自体何を意味しようとしているのか。いうまでもなく、いまや集団内の各人に遍在するようになった共同の観念を、である。たとえば——

兵士たちは、もはや猜疑逡巡する余裕をゆるされなかった。昨日、彼らは発砲をよぎなくされた。今日もまたそうであるだろう。労働者は降服もしないし、退却もしないであろう。
やがて明けなんとする日にたいするたえがたいまでの恐怖と、彼らに死刑執行人の役割を強制しつつある連中にたいする息も詰まるほどの憎悪の、最も深刻な苦悶の瞬間、兵舎の一室に公然たる憤激の最初の声が響きわたる。そしてこの最初の声によって——声の主の名は永久に知るよしもないが——全軍隊は、安堵と歓喜の情をもって、自分自身を確認するのである。かくて、ロマノフ王朝の破滅の日は、ほのぼのと地上に明けそめたのである。(6)

 古来、兵士の反乱はすべてこうした一瞬をもったであろうが、この証言は同時に、兵士大衆の新しい共同観念の形成を媒介する言葉の働きをも劇的に示すものとなっている。反乱への一致した決起を促す「最初の声」は、誰のものとも「永久に知るよしもない」闇の中の一声である。だが兵士たちは、この一声を介して「自分自身を確認する」。ロマノフ王朝の忠実な兵士たるそれまでの共通の自己確認は捨てられ、新しい自分たちへの変容が一瞬にして確認される。いまだこの瞬間には、相互に同一の行動を確かめあうことはできない。むしろ誰のものともわからぬこの「最初の声」には、同一の行動へと兵士たちを決起させる共通の自己確認——つまり共同の意識——が一斉に激しく噴出しているのである。「恐怖」や「憎悪」あるいは「安堵と歓喜」の情として描写されているのがそれだ。
 もちろん、兵士各人のこうした意識は調査しうるものでもなければ、各人の意識を代数和しても、なんらかの共同意識(観念)を証明できはしない。むしろ闇の中の最初の声が意味しようとしているものとして、いまや兵士たちに遍在し彼らを一つの感情のもとに統合している、ある一定の共同的(集団的)意識を読みとることができるのである。これに続く反乱兵士の集団的行動が、アジテーターの言葉と集団の観念との弁証法の現実的結果(確証)となる。
 いうまでもなくこの段階では、共同の観念をなにか既成のものとして実体化してはならない。それは共同の行動において形成されるのだ。行動における集団のスタイル・言葉が形成されるものであったように。だから逆に、一定のスタイル・言葉ということをゆるい限定のもとに理解しなければならない。それは、他の集団の行動から区別しうるという程度のことにすぎない。それゆえ、言葉すら当初は必要としない。身ぶり言語まで含めた行動スタイルの差異性ということが重要だ。
 記号としての言葉のレベルでみれば、行動途上の集団の言葉は、むしろ記号のアナーキーと混線状態を呈する。たとえば秩父事件で、農民たちはもちろん彼らの現実的要求である負債据置きを叫んでいる。だがこのほかに、たとえば一方では「圧制政府転覆」といわれるかと思えば、他方では「天朝様ニ敵対スル」と叫ばれている。だから、のちにややくわしくふれることだが、これら一つ一つの言語記号の既成の意味は、反乱した秩父農民の共同の観念をなんら十分に意味してはいない。彼らはこれらの既成語・抽象語のうちに、共同存在として激しく肥大化した自らの観念を押しこんで表現しようとしているにすぎない。それを解くコードは、これらの言葉によってではなく、むしろそれらの混線ぶりそのもの、彼らの構造全体のうちに見出す以外ないゆえんだ。
 こうした記号の既成の意味作用に妨げられないかぎり、私たちは集団の行動スタイルが何を意味するかを読みとっていくことができる。そして逆にいえば、まさにここではじめて、私の集団は集団そのものとして成立するのである。集団内に流通する言葉とスタイルが一見どのように雑多でも、それらがすべて、私たちの一定の共同観念に促されたものとして内的な統一性をもつとき、私の共同行動は外部的にも確証される一つの集団となる。私たち各人の行動の統一性も、アジテーターとその言葉を媒介にして、私たちの共同観念との一定の関係——意味するものと意味されるものとの呼応の関係——を形成するとき、はじめて内面的に統一された一つの集団の行動となる。
 さきには「アジテーターの集団」の集合(あるいは代数平均)が集団の解体を結果するのではなく、内的統一性をもった現実の集団の形成をもたらすのはどうしてか、という問題がたてられた。しかしこれは、アジテーターたちがそのつど統合する集団の現実的同等性をいくら強調しても解きうるものではない。これでは、行動の実践的統一性に問題を解消するにすぎない。ただ、アジテーターを析出するという契機が、一定の共同観念を意味する行動スタイルと言葉にまで表現されてはじめて、集団の成立は確証しうるのだ。実際、反乱する民衆の同一行動が、たんに一瞬の暴動として終るのか、それとも、大衆的集団の形成とその政治的経験史の出立につながっていくのかという現実の岐路は、内面的には以上の事柄を意味している。
 かつてサルトルは、こうした段階にある集団を「溶融状態にある集団」と名づけた。そして、この集団の内面的統一性が個人的実践による統一であることを分析しつつ、くりかえして「(各人による)諸総合は総合をなしうるか」と問うている。すなわち、「数個の震央をもち、しかもまさにそのことによっておのれの諸項を統一し得ない関係を、相互性の中において示してしまったのに、この多くの中心をもった現実を、一つの統一化と呼ぶことができるであろうか」と。しかし、各アジテーターによるこれらの数多の諸総合は、現実には各人においてみな同等なのだから、一見するとこの設問は部分と全体についてのスコラ的問題にみえる。現に集団は、「個人的総合の多数性が、多数性のまま、目標と行動の共同性を築き得て」いるのではないか。*
*サルトル、前掲書の集団論を参照せよ。
 しかし、この問題が決してスコラ的なものではなく、集団を集団たらしめる決定的契機にかかわる問題であることを、私は以上に詳述した。集団に値する集団は、すでにその最初の段階において、共同の観念を一定の行動スタイル・言葉として(各アジテーターの行為のうちに)表現することにおいて集団たりえている。むしろ逆にいうことが必要だ。既成の組織社会からみればゆるい限定においてではあれ(言語はなおまったく体系だっていない等々)、すでに一定の行動スタイルが集団内部で交換されているという事実には、これらのスタイルを集団のスタイルとして産出する共同存在の、観念の沸騰状態が表現されているのである。
 それゆえ、この問題はもちろん、何か全体的なもの、全体意識なるものを外からもちこむことによっては解けない。しかしそれと同時に、サルトルのように、この集団内での個人的実践の総合性をいくら強調しても解決しうるものではない。それは、そのつどのものとしての個人的総合の、集団内の偏在を示しうるだけである。この全体化の複数性、個人的総合の多数性が、「それを構成する諸行為のおのおのの中において、みずからを否定する」ということが起りうる契機は、ついに示されることがない。こうしてサルトルは、果てしないどうどうめぐりをおこない、集団内の各アジテーターのごとく統合と排除の循環に陥り、結局、全体化は実践的行動の統一性であるというトートロジーに終っているようにおもわれる。これでは、厳密な意味で、集団を媒介にした相互性ということはいいえない。サルトルが、最初の集団内の相互関係として「媒介された相互性」を強調するとき、それはむしろ、私=アジテーターを介した他者たち—大衆の相互性を指すべきであり、規制者的第三者—集団—各人の相互媒介関係としてこれが成り立つためには、集団自身の成立がすでに規定されていなければならないはずである。
 以上の問題は、サルトルの溶融集団論が、いわば尻に火がついて行動する集団を例として展開されていることにかかわっている。だから、そこでは集団のそれ自体のスタイルなどは、まだ問題となりえないといわれるかもしれない。しかし、この最初の集団が存続するために組織となっていく次の段階では、すでにサルトルの集団は対自的に措定された反省的なものとなっている。だから、私のいう集団を集団たらしめる前反省的な契機、すなわち、行動統一の解消か集団の形成かの決定的な分岐はついに明確にはあらわれず、そのままに、サルトルの集団論全体が展開されていくことになる。一般に、サルトルの集団論は制度論にすぎる。そこでは、実践や制度の共同性は把握しえても、ひとがなぜ共同存在にかくも憑かれてきたのか、かくも幻滅をくりかえしながら、なおしょうこりもなく集団へと自己投企してきたのか、その狂熱を解くことができない。したがって、集団としての共同存在の内的靱帯の強さ、そのデモンを解きえない。
 ひとはあるいはここで疑念をいだくかもしれない。いま成立したばかりの私の集団では、各人がアジテーターであり、したがって表現記号は混線状態を呈するのだから、事態はふたたびたんなる行動の統一へ解消されるのではないか、と。だが私は、行動の統一が一瞬ののちに行動の散逸につながらないのはどうしてか、とずっと問いつづけてきたのである。現実の行動の統一が、この私において内面化されることがなかったら、どうして成立したばかりの集団がこれからも生きつづけることがあろう。
 しかし、私がここでことさらに共同観念の形成をもちだしたのは、これだけの理由ではない。アジテーターたちのスタイルの混線にもかかわらず、偏在する共同観念の激しさが、逆に、集団としての集団をもかえってみえなくさせるということが、私の集団のこの段階でたしかに起るのだ。私たちの共同観念は現実の集団の範囲をはるかに超え、むしろ一つの観念世界にまで膨張するからである。このことが、私の最初の集団経験を、たんなる進化の歴史のスタートではなく、きわめて特異なものにしていく。——しかし、私はこの問題を次章にゆずらねばならない。ここでは、アジテーターのスタイルと集団の観念が交錯する場所に、もう一度もどることにしよう。



第四節 言葉

一 言葉の生産現場ではアジテーターの言葉がすなわち集団である

 古くは「よく口利ける者」などと呼ばれてきたアジテーターは、以上の用法では、まずなによりもカリスマや政治的指導者のように特定の能力をもつ個人を指す名称ではなかった。政治的行動に励起した個々の民衆のカオスが、その内に大衆的集団の核を形成するさいに、この形成の決定的契機がアジテーターと呼ばれたのであり、これは集団の行動および意識のスタイル、端的に「社会的身ぶり」なのである。だからこそ、アジテーターの定義に属する彼の「言葉」の重要性が、とりわけここに浮きぼりにされるのだ。
 次はある有名なアジテーターによる記録だが、民衆の行動のカオスが集団的に統合されていくプロセスの一端をよく示している。私たちは、有名な指導者の事例としてではなく、前節までの私の経験の総ざらいとして、以下のやや長い引用を追っていくことができるであろう。

十月十八日は偉大なる躊躇の日であった。ペテルブルクの街々を大群集が途方にくれて動きまわっていた。憲法が与えられた。次は何か? 何ができ、何ができないか?
私は街に出た。最初に出会ったのは学生で、帽子を手にし、息を切らしていた。党の同志である。
彼は私に気づいた。
「夜中に軍隊が工業専門学校を砲撃しました。……明らかに挑発です。ザバルカンスキー大通りでは、たったいま、パトロールが抜剣して小さな集会を追い散らしました。演説していたタルレ教授はサーベルを受けて重傷です。死んだとも言われています……」
「そうか……。出だしはまあまあだな」
「どこもかしこも、人の群れが右往左往しています。弁士を待っているのです。私はいまから党のアジテーター会議に駆けつけるところですが、どう思いますか? 何をしゃべったらいいでしょうか? 現在の主要なテーマは大赦のことじゃないでしょうか?」
「大赦についてはわれわれが言わなくても、みんな言うだろう。軍隊をペテルブルクから遠ざけるよう要求したまえ。周囲二五ヴェルスタ以内に兵隊はひとりもいてはならないと」
学生は帽子を振り振り向うへ駆けて行った。
歩道には群集がひしめいていた。
「大学へ行こう!」だれかが叫んだ。「演説があるはずだ」
私も一緒に歩き出した。人びとは黙って早足に歩いた。群集は刻々増えた。歓びはなく、むしろ動揺、不安があった……。パトロールはもう見えなかった。ばらばらの警官たちは、おどおどして、群集から身を隠した。街は三色旗〔ロシア国旗〕で飾られていた。
われわれは橋を渡り、ヴァシリエフスキー島に入った。海岸通りは巨大な漏斗をなし、そこを通って後から後から果てしない大衆が流れ込んだ。弁士たちが演説することになっているバルコニーめがけて、みなが殺到した。大学〔ペテルブルク帝大〕のバルコニー、窓、尖塔は赤旗で飾られていた。やっとのことで私は建物の中に入った。私は三番目か四番目に話すことになった。バルコニーから見ると、そこには驚くべき光景が展開されていた。街路は人びとでぎっしり埋まっていた。青い学生帽と赤旗が鮮やかな斑点となって、何十万という群集のシーンに活気を与えていた。完全な静寂が一場を支配した。だれもかれも、弁士の話を聞きもらすまいとしているのだ。
「市民諸君! われわれは支配者の悪党どもの胸もとめがけて攻撃した。そのあとになってやっと自由が約束された。選挙権、立法権が約束された。約束したのはだれか? ニコライ二世だ。自発的な意志によってか? 本心から約束したのか? だれもそうは言うまい。彼はヤロスラヴリの労働者たちを殺害した褒美として勇猛ファナゴリ連隊に恩賞を与えることによって、その治世を始めた。そして屍の山を築きつつ、一月九日の血の日曜日に到った。われわれはこの飽くことなき、王冠を着けた死刑執行人に自由の約束をさせたのだ。なんという偉大な勝利だろう! だが、勝利を祝うのはまだ早い。勝利はまだ不完全なのだ。約束手形は純金と同じ重みがあるだろうか? 自由の約束は自由そのものと同じだろうか? 諸君の中にツァーリの約束を信頼する者がいたら、名乗り出てほしいものだ。そういう変わり者を見たらだれしも喜ぶだろう。まわりを見たまえ、市民諸君。はたして昨日から何か変わっただろうか? はたして監獄の扉は開かれたか? ペテロパウロ要塞は首都を支配しなくなったか? 諸君はあのいまわしい壁の向うから聞えた呻き声を、歯ぎしりを、聞かなくなっただろうか? われわれの兄弟たちはシベリアの荒野から帰って来たか?」
「だ! だ! だ!」下から人びとが叫んだ。
「……もし政府が誠意をこめて人民と和解しようと決めたのであれば、第一の事業として大赦を行なったはずだ。だが市民諸君、大赦がすべてだろうか? 政治活動をした何百人かの戦士が今日釈放されたとしても、明日は別の何千人かが逮捕されるだろう。自由の宣伝と並んで、実弾の命令が貼られているではないか。昨夜は工業専門学校が砲撃されたではないか。今日は静かに弁士の話を聞いていた人びとが斬られたではないか。死刑執行人トレーポフがペテルブルクにのさばっているではないか」
「トレーポフを倒せ!」下から人びとが叫んだ。
「……トレーポフを倒せ! だが、彼ひとりなのか! 官僚の貯えの中には、あの男に代る悪党がぞろぞろいるのではないか? トレーポフは軍隊の力でわれわれを支配しているのだ。一月九日の血まみれた近衛兵こそ、彼の頼みの綱であり、力なのだ。トレーポフは彼らに命じて、諸君の胸と頭には実弾を惜しむなと言っているのだ。われわれは銃口のもとで暮らすべきではない。そんなことはできないし、したくもない。市民諸君! われわれの要求はこうだ。軍隊はペテルブルクから撤退せよ! 首都の周囲二五ヴェルスタ以内にひとりの兵隊も残すな。自由な市民自身が秩序を維持するのだ。勝手な振舞いや暴行はだれも我慢しないだろう。人民はあらゆる手段で自衛するのだ……」
「ペテルブルグから軍隊を追い出せ!」
「……市民諸君! われわれ自身の中にしか、われわれの力はないのだ。われわれは剣を手にして、自由を守り抜かねばならない。ツァーリの宣言は、見たまえ、ただの紙きれにすぎない。このとおり、諸君の眼の前にあるが、ほら、こうすれば手のひらの中でくちゃくちゃになってしまう。今日は与えられたが、明日は取り上げられ、引き裂かれてしまう。私がいま、この紙の上だけの自由を諸君の眼の前で引き裂いているように!……」(7)

 この場面は、もちろん大衆的反乱の最初の日のことではない。だが運動の展開はその途中で、しばしばこの「偉大な躊躇の日」のような一日を不意に現出させるものだ。相手側の譲歩や運動目的の一部の実現などにより、それまで一定の目標追求のもとに統合されてきた大衆の運動が不意に失速し、その集団意志が溶解する。
 ここに、あたかも、最初に反乱に励起した人びとのカオスが行動の方向を求める場面と、きわめて類似した状況が再現される。いや、人びとに「歓びはなく、むしろ不安、動揺があった」といわれているように、人びとの内的混乱は行動の最初の日以上のものがあるのだ。いずれの場合にも、人びとは新たな集団形成(再形成)による闘いの持続か否かの現実的岐路に、期せずして立たされることになるのである。この例が記録しているような大衆の「躊躇」や「右往左往」が、全体として示している事態こそがこれである。そしてアジテーターがその本性をもっとも尖鋭に開示するのもまたこのような場面なのだ。
 くりかえすけれども、ここでいうアジテーターは、指導者と同義ではない。現にさきの引用ではこの「私」は党の有名な指導者にはちがいないが、学生の同志との会話が示しているように、「党のアジテーター会議」を通じて派遣された無数の無名アジテーターたちが、今日この混乱する街のそこここで、大なり小なり私と同じような場面を演じているはずだ。そしてついには、私をも含めた無数のこうしたアジテーターの働きによって、逆にまさに私たちの身柄からすらも離れた、一つの言葉が人びとの口から口へと流通していくようになる。「ペテルブルクから軍隊を追い出せ!」等々というスローガンが、いまや大衆の新しい集団的統合のシンボルとして流通するのだ。
 だがいうまでもなく、いま言葉は文字どおりに、貨幣のごとくに「流通する」のではない。それは、党のように大衆の外にある超越的な集団によって大衆に与えられ、そうしたものとして大衆に交換されるものではない。むしろ逆にいわねばならない。「たとえそれが〈遠くから到来する〉にせよ、集団の中においておのおのの場所が、遠近にかかわらず同じ此処であるという意味で、ひとはそれを此処においてあらたなもののようにつくり出すのである。」*
*サルトル、前掲書
 ひとがここで「あらたなもののようにつくりだす」のは、一般化していえば記号としての言葉ではない。言葉の意味作用、あるいは言葉で意味されるものとしての共同の観念である。いま私たちは、いわば記号の意味生産(再生産)の現場にたちあっているということができる。生産こそ、いつももっとも精彩ある経験だ。そこでは、行動する人びとの共有するスタイルと言葉が、その集団を現に集団たらしめている共同観念に、ほとんど過不足なく重なっている。人びとからの集団の超越や、いわゆる組織の疎外をあげつらうことなしに、しかも、アジテーターとして人びとから分立したスタイル・言葉が集団なのだといいきることができる。誰かが「トレーポフを倒せ!」と叫ぶとき、いまこの瞬間にこの誰かを通じて、「われわれは……倒せ!」という共同性われわれが激しく噴きだしているのだ。
 逆に、アジテーターの言葉が、その意味作用を「あらたなもののごとくにつくりだす」生産過程から切断された場合には、この言葉の政治的「効用」は問わぬにしても、およそアジテーターの言葉は集団を形成する契機たりえない。たとえば次のような例をさきの場合と比較するとき、アジテーターの言葉がどのような現場に根ざしているかは明らかなことだ。こうした差異は、けっしてアジテーター個人の能力や、言葉記号の精巧さの差などによって生ずるものではない。
 次の演説は、第一級のアジテーターによる、第一級の技術をもったものなのである。

わたしはきみたちの熱狂に水をささねばならない。反革命はすでに進んでおり、行動に移っている。(ヤジ、どこでさ?)反革命はここに、われわれのあいだにはいりこんでいる! 先ほどきみたちに語りかけたのは、あれは革命の味方だったか? (違う! という声と、味方だぞ! という活発な反対の声。)多くの側から、革命に危険が迫っている。(ヤジ、おまえからだ!)危険は、これまで権力を握っていた者たちから迫るばかりではない。きょうは革命に便乗しているが、おとといはまだ革命の敵だった者たちからも、危険が迫ってくる。(統一と団結! という激しい妨害の声。これにたいし妨害に反対する声。ひっこめ! という声。)………(8)


二 私の言葉を通じて形成された集団は言葉を通じて私を超越する

 たしかに、右にあげたアジテーターの空中分解の例が物語っているように、集団形成に本質的なものは記号としての言語や制度ではない。アジテーターの駆使する記号が、どれほどその意味生産の現場——つまり、私たちの共同観念の誕生——にたちあっているかが、いつも決定的となる。
 だがひるがえってみれば、私たちがその共同の観念を、ただ一定の社会的スタイルや言葉——すなわち一つの集団——としてしか表出しえないこともまた、この共同観念のもつ本質である。なぜなら、言葉を離れて何か共同観念なるものが実体的に存在し、言葉は後者を「反映する」にすぎないなどということではないからだ。とりわけいまはなお、政治的言語体系の創出が、指導者や理論家の仕事として専属化しているのではない。観念とその表現形態との関係は、喫緊な大衆的行動のうちで前反省的に生起している事柄なのである。それゆえ、共同の存在が社会的に一定のスタイルに、さらには言葉へと外化していくことは、ここでは本来の意味で宿命である。この宿命こそ、前節までにアジテーター=集団の形成史として経験されたことにほかならない。
 逆に、集団形成にさいしてもつスタイルや言葉の意義は、そのシンボル機能が、もともとこうした働きに適した性格をもつものである事実によって決定的となる。たとえば、言語記号は、もともとそれが指示する具体的個物とは無縁であることはもちろん、記号を生みだした行為や観念とも必然的連関をもたない。少なくとも言語記号のもつこうした契機が、抽象的存在として言語を社会的に流通させる。

追々操込ミノ行列ヲ述レバ、兇徒等ハ抜刀鎗或ハ銃砲或ハ竹鎗等、兇器ヲ閃メカシ、白木綿ヲ襷鉢巻卜為シテ味方ヲ区別シ、或ハ白木綿ヲ以テ旗トシテ暴民等ノ村名ヲ書シタルヲ翻シ、暴徒等異口同音ニ進メ進メノ掛声ヲナシ、或ハ戸ヲ閉メタル家ハ鉄砲ヲ打込ム故早々ニ開クベシ、或ハ我々ハ圧制政府ヲ転覆シテ世直シヲ為スノ企望ナレバ一家一名宛目印ヲナシ義勇兵トシテ早々人足ニ出スべシト揚言シ、号令旗ヲ打振リ振リノ如ク操込ミタリ。(9)

 すでにこの場面でも、旗指物から「圧制政府転覆」という「自由党」の言葉にいたるまで、さまざまなレベルのシンボルが息づいているのが見られる。そして無名のアジテーターたちは、それぞれの体現するシンボルによって、自分たち反乱した農民の心的豊かさのすべてを表現しようとしている。
 けれども、村名を記した白木綿の旗にしても、自由党風の言葉使いにしても、これらの記号の既成の意味が、彼らの共同存在の豊かさに等身大に重なることなどは不可能だ。だから、彼らはさまざまに饒舌となり、選ばれた記号は記号同士混線する。しかし、彼らは通常「圧制政府転覆」等の既成の言葉を使ってしか、自らの共同存在・共同観念を言語に表現することはできない。たしかに彼らにとってみれば、これらの既成の言葉の意味はいまここで新たに発見され、新たに生みだされたものなのだが、他方、「圧制政府転覆」という言語記号の側からみれば、これらの言葉には、すでに板垣自由党のきまり文句という社会的意味が付着している。だからこれらの言葉が反乱農民のうちで生みだされ、流通するとき、反乱は「自由党の反乱」となり、盆地外の言葉では「自由党員の暴挙」となる。
 このように、言葉はそれ自身の性格によって、それをつくりだした表現主体と表現場から離れて流通する。反乱は言葉を通じて集団となり、また言葉を通じて外部の権力や世論によって辱しめられる。
 ここには明らかに、言語はそれを産出する人びとの行為から自由であるという、言語記号の特性が働いている。その直接の結果は、大衆的共同性の現実の、言葉による「搾取」と「詐称」である。一方では、秩父農民の反乱を「自由党の反乱」とすることは、前者の切りつめを意味した。なぜなら、この反乱を、同時期のいくつかの「自由党員の決起」と同列視することは、この反乱を倭小化する以外のものではないし、実際、板垣の『自由党史』が、秩父農民の振舞いを逸脱と批判したことはこの事実を逆照射している。これは、白木綿などの伝統的スタイルによって、この反乱をたんなる百姓一揆と同列視することと同じように、農民たちの共同存在の切りつめとなるのである。言葉がその社会的伝達機能(言葉による大衆の伝統性)を捨てないかぎり、言語機能が大衆的共同性の内に沸騰する意味作用をなにがしか切りつめ、抽象化することは避けられない。
 また、他方、たとえば秩父反乱の歴史的位置からいえば、「自由党」や「圧制政府転覆」という言葉は、明らかに農民たちの行動にとって身にあまる言葉だ。反乱者たちはいつも出来もしないことをいうものだ。あるいはこれに付け入って、指導者たちは、多様な意識段階にある大衆の一部を、言葉によって大衆全体に拡大しおしかぶせる。闘いの歴史的限界、あるいは貧しさは、言葉によって逆に肥大な観念を背負わされる。こうしたことは、集団のスローガンの機能をみれば明らかなことである。
 共同的存在における言葉のこのような意義は、アジテーターの定義に属するその発言——とりわけ発言の「主語」われわれ——の性格を分析してみれば一層はっきりする。
 アジテーターは「私」である。だから私の発言の主体「われわれ」がたんなる主語人称であるのなら、私の人称語が「われわれ」だというのは端的な矛盾である。しかし、すでに指摘したように、アジテーターとはその発生の根拠からして、私のスタイル(言語)をわれわれのスタイルとしてしか表現しえない一つの場面であった。この私においてわれわれが発言するのである。もし、アジテーターの私においてわれわれが発言することに失敗すれば、それはアジテーターそのものの挫折である。ここから何が発生するだろうか。
 アジテーターの発言の主語、「われわれ」は、言語記号の定義からしてすでに集団の各人でもなければその代数和でもない。主語「われわれ」に対応する実体などどこにもない。だから、アジテーターが「われわれ」でもって意味しようとしているのは、集団の共同観念である。そして、匿名のアジテーターの集団という最初の経験においては、アジテーターの「われわれ」は、自己において激しく生起する共同存在われわれの表現として、大衆の意味生産の行為そのものを「意味する」ことができる。「われわれ」という言葉の一般性・非限定性は、この場合「われわれは——」という発言をほとんどアジテーターの叫び声のごとくにしている。一言でいえば、この場合「われわれ」は言語記号ですらない。それは集団の各人に遍在し、つねに新たなもののようにつくりだされる共同観念の咆哮というにひとしい。
 しかしこの同じことが、今度は記号「われわれ」として各人を超越し流通する。すでに記号「われわれ」自体にはその出生の秘密はすけてみえない。それは、人間の具体的共同存在の裏づけを欠いた不換紙幣のごとく流通する。すると、私がいかに激しく記号「われわれ」を絶叫しようとも、われわれは私からすらも離れ、たんなる外的多数者への呼びかけ、記号のシンボル機能・比喩機能を駆使した共同存在の詐称となる。党員アジテーターの発する「われわれ」は、党によって観念されたわれわれとして、アジテーターの直面する大衆的現実の切りつめか肥大化を意味するようになる。そして、大衆は言葉のうえで依然として「われわれ」でありながら、そのじつ、この「われわれ」には、沸騰する共同の観念による結合はすでに失われかけている。
 このように、アジテーター=私の主格「われわれ」は、彼の集団が内部の形を変えていくのに相即して、その意味作用を変えていく。これは集団の組織化、制度化の進行に対応する。しかし、一般的記号「われわれ」は、その意味する存在や概念から自由なものとして、なお「われわれ」のままで流通している。この著しい組織社会における「公衆」や「社会人」の仮象は、このことをよく示している。それは同時に、「公衆」の裏にあるいわゆるアパシー現象に相即した、イデオロギーとしての「公益」なのである。
 集団の形成の契機が、同時に、集団の超越の契機ともなることを、集団の言葉ほど端的に示すものはない。通常の集団ではありふれた事実だが、集団は一方では固定されたスタイル=制度となり、他方で言語の体系・理論・文書となる。この過程は、共同のスタイルと言葉が、各人の共同的意識と共同的実践から析出されながら、逆に後者を前者にあわせて切りつめ、あるいは詐称していく過程ともなる。こうしたプロセスによって、集団は真にその成員を超越していくのである。
 このような逆説的過程にはたすアジテーターの言葉の役割にくらべるならば、集団が特定のアジテーター個人の集団として詐称されることは、なお真の集団の超越ではない。もしも集団にとって指導者=アジテーター個人が本質ならば、ひとは超越した集団の解体のためには彼=アジテーターを打倒すればよい。これは、その集団形成過程を逆にたどることによって、各大衆にとって可能である。
 実際、一人のカリスマとその群集との関係が形成され、また潰れていく過程は、このことをよく示している。アジテーターが特別の規格をもつ個人に固定していくという傾向の結果として、ひとは、この指導者がつくりあげた観念=言語が、集団の統一性をもたらすのだと錯覚する。しかしじつは逆に、スタイルの体系のもとでは個人は消えるのだから、特権的権力者・指導者すらも必要とはしなくなるものだ。たとえばスターリン体制において、スターリンその人はもはや重要ではない、彼が死ねば代りを造ればいいということが起る。ひとが「孤独な権力者」のイメージを好むのもこのことに由来する。
 もちろん、さきにもふれたように、アジテーターの身柄の重要性は人びとの社会的錯覚の結果であって、恣意的な作為にもとづくものではない。もともとアジテーターは、その本来的匿名性のもとにあるかぎり、そのつど他者の統合(アジテーターの定立)および自己からの他者の排除(大衆の定立)の矛盾的運動であった。だから、アジテーターという行為存在はいわば疲労にみちている。アジテーター=大衆のこの内面の緊張を、私は別のところで「弁証法の疲労」と名づけて分析しているが、その結果アジテーターは、いま集団を集団たらしめている、この自己=他者たちの死闘の相互性を逃れて自足したいと願う。そうして各人はそれぞれアジテーターなのだから、もしもこの集団が分解しないとしたら、各人は特定の一人に統合と排除の矛盾を「役割」としておしつける以外にはない。
 しかし集団の特定者に固定されたこの矛盾は、すでに前段階とは形を変えはじめている。彼は「大衆にたいする指導者」となり、わが身一身に固定化してその他大衆の存在を体現する。それでもなおたしかに、統合・排除の矛盾は彼の内面の緊張にはちがいないし、これは史上大衆の真の指導者がもつ本質的特性である。しかし、彼を指導者たらしめた力は、彼以外の大衆による彼の分立という社会的事業なのだから、指導者=アジテーターの分立は、同時に、他者たちが大衆となることと相即する過程である。後者こそ、大衆が各人=アジテーターとの死闘から自ら脱落し、反抗以前の惰性的存在へと回帰する事実の意味である。内部エネルギーの励起状態は終息にむかい、しかも指導者に他有化された集団なるものが残る。
 このように、超越した集団の秘密は、じつはこの集団の形成そのもののうちにある。だから、ひとは集団の超越を打破することを、なにか外的な対象の打倒のごとくに考えることはできない。逆に、超越した集団を解体するためには、ひとは自らの形成した共同の実践と共同の観念そのものを解体せねばならず、これは端的に各人における。この私の破壊を意味するのだ。だから、たとえば敵たる政府権力を打倒するためにも、ブレヒトは次のようにいわねばならなかった——「政府でなく人民を解任せよ!」、と。
 いま成立した大衆の集団がもつこうした内的矛盾は、以下、集団の政治的経験史の全過程を通じて、さまざまな契機にさまざまな形をとって現われてくるであろう。



第五章 遍歴への出発

一 反乱のなかから私は私自身をたずねて政治の遍歴へと出発する

あらゆる真の革命の主要な標識の一つは、政治生活に、国家の建設に、積極的、自主的、活動的に参加してくる「俗衆」の数が、異常に急速に、急激に、はげしく増大するということである。
ロシアでもそのとおりである。ロシアはいま沸きかえっている。一○年間も政治的にねむり、ツアーリズムの恐ろしい圧制と地主や工場主のための苦役とによって政治的にうちひしがれていた幾百万、幾千万の人々が、目をさまして、政治に突入してきた。
だがそういう幾百万、幾千万の人々とは、どんな人々であろうか?(10)

 私は、大衆的な反乱の舞台へと励起してきた民衆、そのうちの任意の一人から本書の記述を開始した。この任意の一人は、文字どおり「政治に突入してきた」多数の「俗衆」の一人——この私——だと考えてよい。
 けれども私はさらに、集団形成の前提として、この一人の私の社会的な匿名性をくりかえし強調してきた。行動を共にする各人が、実際は誰なのかはあらかじめ少しも知られていない。むしろ逆に、私が他者とともに誰なのか——私たちとは「どんな人々であろうか」——をあらたに発見する過程として、まさに集団の形成が考えられたのだった。
 一見するところでは、このような方法上の抽象は、私の日常的な存在様式と日常の集団の著しい性格とから、あまりにかけ離れた仮定のように思われるかもしれない。けれどもこの方法は、日常の政治的諸形態の秘密を暴露し、その形成の根拠が、同時にその廃絶の根拠ともなることを示すために、どうしてもとらねばならない方法である。
 それというのも、現実の政治世界を前提とするかぎりは、私は、自分の発見(形成)を、同時に他者たち集団の発見(形成)として経験することがないからだ。私は通常は、ある物化された社会的形態を通じてしか他者と交通しえていない。いや、この交通において、ひとは物化された流通の形態そのものというしかない。ちょうど近代の商品交換に似て、人びとが政治的世界で「活動を互いに交換する」といっても、一定の社会的様式(交換価値)を前提にして、この私の社会的スタイルの交換がおこなわれているにすぎない。
 このように、私の社会的な自己規定と一定の協働様式が前提とされるかぎりは、私は「他者」たちをあらためて発見する必要などは生じない。他者は、自分と同じ階級や組織のもとにいるのか、それとも他人なのかが弁別されるだけのことだ。だからまた、発見された他者を媒介にして、自分をあらたに発見するということも起りようもない。
 たしかに近代社会は、たとえば労働力商品のごとく人間の社会的な均質化をもたらした。マルクスが労働者階級を発見しえたのも、もとよりこのためだった。だがこれは同時に、均質化された労働力の資本のもとへの編成、つまりブルジョア的な階級編成をも意味していた。こうした事実を根幹に、近代の社会は、人間の政治的・社会的編成(組織化)を全面的に発展させてきたのである。そして、人びととの共同性はこの組織社会の果てに、かえってその閉鎖性と排他性を顕著にするということが起っている。ブルジョワ階級がもはや「国民的階級」たりえないことはいうまでもないが、同様なことは「労働者階級」についてもいえる。通常では、労働者は労働組合に組織されており、組合は彼らの「階級利害」を追及するものであって他の別のものなのではない。レーニン以降の革命が、この階級利害に抗してしかその緒につくことがなかった事実を、すこしでも想起しよう。
 一言でいえば、通常人びとの社会的あり方は、別の共同性に属する人びとを差別し、またこれに差別される存在である。大衆社会状況のアパシーをみるまでもなく、人びとはただその非社会的感性においてのみ、各人の組織から漂い出て「大衆」として相互に交通するにすぎない。だから、人びとのこの差別的なあり方が、その社会的定在の根源で崩壊せぬかぎり、人びとの社会的スタイルの等価交換などは成り立つはずもない。だからまた、規制の政治的な諸形態はその形成の秘密を露呈することをまぬがれているのだ。
 こうして私の記述は、行動する一人の私が、どの階級のどの組織の人間であるか——つまり、私は社会的に誰なのか——を特定しえない場面から出発した。いや、むしろこの私は、こうした既成の社会的自己規定性を清算してこそ、「政治に突入してきた」者なのだ。そしてこうした者たちこそが、逆に今度は、共同の行動のなかで他者の発見を通じて自らを再発見し、未完の何者かへと再生すべく政治の遍歴に出発するのである。
 それゆえ、私の記述の出発点で仮定された、この私の社会的匿名性は、けっしてたんに方法上必要な抽象化でない。実際、事実として、古来革命の問題を提起するような民衆の行動は、労働組合員とか党員とかの既成の社会形態の発展としてではなく、かならず各人の社会的履歴の清算を通じておこなわれている。やがてみるように、労働者階級といえども、自己をプロレタリアートとして再発見し、再内面化するということがおこらなければ、この階級は労働組合といった既成の形態のもとにとどまり、その限り、民衆の革命的蜂起の圏外に去る。
 だから、私の記述の事実的前提は、むしろ、行動に励起した民衆の自己規定の社会的混乱という事実である。そしてこれこそ、私が他のところでくりかえし強調したように、近代における「大衆の反乱」ということであり、「プロレタリアート」の登場なのである。一言でいえば、石化した社会的諸形態の反乱による破壊、これが記述の事実上の出発点である。この場面ではじめて、自己の社会的履歴のいかんにかかわらず、共同の行動を通じて、他人たちが同等者として、社会的行動を相互に交換するということがはじまる。
 もちろん現実には、反乱の行動において、自己の既成の形態が完全に清算されうるということはない。ひとは社会的形態というものを属性としてもつのではないから、その「完全な清算」は人間存在の清算というにひとしいことだ。清算は個人の決意性によるのではなく歴史的力によるのだから、白己の既成性は、形成途上の集団とその行動を歴史的に性格づけ限定していくであろう。
 ありのままの大衆や労働者階級を、「革命的階級」に形成・組織しようとする立場、つまり「革命党」などにとっても、以上は実際的な問題である。「大衆の利益」や「労働者階級の利益」を擁護するなかから、その延長上に「革命」をもくろむ者たちは、いわゆる「改良主義」の足枷にがんじがらめになる歴史を、これまでもくりかえしてきた。だから、人びとの既成の社会的あり方の延長上に革命を考えないとすれば、ひとは革命の階級を形成する以外にない。形成しようとして、彼が現実に直面するのは、まさにさまざまな大衆の反乱である。そして反乱舞台では、既成の組織は清算されるのだから、彼がまず直面するのは既成の組織や集団ではない。——彼は、まさに本書の出発点にでくわすのだ。本書が、集団からではなく、集団そのものの形成から出発せざるをえなかったゆえんがここにもある。
 このように、私の政治的遍歴史への出発点は、事実的にいえば大衆反乱であり、この反乱での社会的に匿名な私の行動を方法上の始点として、本書の記述が開始された。そしてくりかえすが、自己の社会的死を賭して、反乱の行動へと励起したこの私の性格こそが、私をしていまから長い政治の経験史へと出立させるのである。本章で、最初の集団が形成される場合がすでにそうであったように、これからも私は、共同の行動のなかで幾重にも、自分とは「どのような人々であろうか」と自問しつづけていくであろう。
 もちろん、ひとはなぜ日常世界から自らの日常的履歴を清算して、反乱の「政治に突入する」のかと問うことはできる。だがこの問いは、むしろ政治の世界が十分に記述されたのちに、その帰結として接近するべき問題であろう。いまは、人びとがしょうこりもなくくりかえしてきた大衆反乱——その著しい事実から出発することにしよう。*
*近代の大衆反乱については、私の『叛乱論』(合同出版、一九六九年)と『結社と技術』(情況出版、一九七一年)が主なテーマとして扱っている。本書の前提となる反乱の問題については、これらの本にゆずることにしよう。


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