政治の現象学 第2章 反乱世界

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第二章 反乱世界


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第二章 反乱世界


第一節 熱い集団

一 私たちの内的親しさのうちで最初の集団―共同体が経験される

 前章で私は、反乱内部の行動のカオスから私の集団を自ら形成した。そして、この集団の政治的遍歴にそって、私はいま何者かになっていこうとしている。
 けれども、私の集団の遍歴を追って先に進むまえに、成立したばかりのこの集団にいましばらくとどまって、その内部をもっと詳細に経験してみることが必要である。私はいわば息せききって、たったいま私の集団を生みおとしたばかりだから。
 この場合、私の経験は、まだ私の集団の組織や制度にむけられるのではない。当然にも、私の集団を集団たらしめた私たちの共同観念のあり方こそ、もっぱら注目されねばならない。それというのも共通の行動で結ばれた私の集団の内部では、なおすべての私がアジテーターなのである。あるいは正確にいえば、すべての私たちの内の一人の私は、集団内のいま・ここにおいてアジテーターである。そして、他の成員は、この私を媒介にして、相互に同等者として他者を発見しえている。集団はむしろこうした内部の相互性の運動そのものだ。だから集団にはいまだ固有の名前はない。
 それゆえ、この著しい組織社会のただなかにあって、人びとをいつもひきつけてやまないかの共同体の牧歌は、私の最初の集団に、いまも絶えることのない源泉を見出すのだといってよい。ここでは、この瞬間に、私は集団であり集団は私であるという、私と集団の恒等式が成り立っている。集団は、特定の個人スターリンに詐取されたりして、私を超越することもない。また私は、「組織の中の個人」を嫌ったりして、集団から逃散することもない。集団と私は、なお相互の「疎外」を知らない。
かつてあらゆる反乱の「よき時代」に演じられてきた、一つの光景に参加してみよう――

普通、サーカス小屋では、私は夕方演説したが、時には一晩中かかった。私の聴衆は、労働者たち、兵士たち、働く主婦たち、街からやってきた青年たち、首都のなかの虐げられた人々、下層民の人たちだった。針一本落す余地さえなく、人々はひしめきあった。小さな子供たちは、その父親の肩に乗っていた。赤ん坊は母親の乳房を吸っていた。誰も煙草を吸わなかった。上のさじき席は重荷に堪えかねて今にも落ちそうだった。
演壇にたどりつくには、人間の身体で作られた狭いざんごうを通って行かねばならなかった。時には、私は人々の手から手へ運ばれた。人いきれと期待で重苦しい空気は、叫び声となって、現代サーカス劇場にふさわしいやり方の、あの熱狂的な歓声となって爆発した。私のまわりは、ぎっしりと肱や、胸や、頭で押しつけられていた。私は人間の身体で造られた熱い洞穴の底から演説するみたいだった。ちょっと私が大きな身振りをすると、いつも誰かに、私の身体はぶつかった。が、ぶつかられた聴手は、かまわないという素振りで、ちっとも私は気に病む必要はないこと、演説を途中でやめたりしてはいけないこと、そのまま続けなくてはならないことをわからせるのだった。この人間の集団の電圧の中では、どんな疲労も続きはしなかった。群集は彼らの進路を知り、理解し、見出すことを欲していた。
時折、これらの流動する大衆を一つの存在としてしまう魅惑的な問いが、唇のあたりまでのぼって来るのを感じるのだった。すると、あらかじめ考えられていた論証も、用意された言葉も、共感の圧倒的な力のもとに屈して、引っこんでしまい、他の言葉、演説者にとっては思いがけぬ、だが、聴衆には必然的な、すっかり武装のできた他の論証が、影のなかから現われてくるのだった。そうして、このとき、演説者自身が、誰かがすぐ傍に立って演説しているのを聞くような、また、自分の想念を充分追って行くことができないような感じにかられるのだ。彼の唯一つ感じる不安は、その影の自分が、夢遊病者のように、彼の理窟っぽい声の響きで壇上から転げ落ちはしないかということだった。(1)

 ここにはアジテーター=私と、他者たち=大衆との一体感が、きわめて魅力的に語られている。それはけっして、ある瞬間に指導者と大衆とが一体化したということにつきるものではない。たしかにここでは、アジテーターは大衆的人気の高い指導者でもあり、当然にも彼は、演壇から大衆に語る言葉をあらかじめ用意してきたであろうし、この言葉が大衆の「鳴りやまぬ長い拍手」によって迎えられる場合もおこるであろう。壇上の演説者とその聴衆の関係として、これはとりたててとりあげるほどのこともない、ありふれた光景だといってもよい。
 だが、私=アジテーターがここで経験しているのはこうした共感の関係につきるのではない。私のアジテーションの中途で、「あらかじめ考えられていた論証も、用意された言葉」も引っこんでしまう瞬間が訪れる。するとこのとき、当のアジテーター=私自身が、まるで「誰かがすぐ傍に立って演説しているのを聞く」ように、用意されたのとは別のおもいがけない(すなわち、前反省的な)言葉と論理とが、「影のなかから現われてくる」のだ。このような「影の自分」の言葉は、明らかに私の肉声の響きをたてていながら、いまや私自身は、影からの言葉の一人歩きを不安にも追っていくものでしかないのである。
 前章でアジテーターの身柄とその言葉(「社会的身ぶり」)との分立関係が記述されたことを想起してほしい。大衆のものでもなく、またこの私自身に属するものですらない「影のなかから来る言葉」、「影の自分」――これこそがいま集団としての私であり、かつ私としての集団を意味しているのである
 それゆえここでは、集団なるものが私の対象なのではない。私と私の集団はいかなる意味でも相互に外在的な関係ではなく、両者は対象的な実践の構造をもっていない。私が集団に合体するために近づくとき、私は「人間の身体で作られた狭いざんごう」を通っていく。私が集団の大衆に語りかけるときも、私は「人間の身体で造られた熱い洞穴の底から」言葉を発するのだ。集団は私の工作対象ではない。毎夕私がこの集団に外から近づいていくたびに、私はじつはすでにこれに属していることに気づくのだ。「影の自分」と影のなかから現われてくる言葉とは、ともにこのような関係を表現しているものにほかならない。
 逆に、以上のような私はまた、「すべての私たちのうちの一人の私」にすぎないのだから、集団なるものへの私の他有化は生じない。毎夕ぎっしりと会場を埋める「労働者たち、兵士たち……」等々のうちの一人の私は、自らの手で「集団」を演壇にまで運び、「集団」の身ぶりはそのたびに私の身体にぶつかって反響する。
 このようにして反乱における私たち相互の肉的な親しさのうちで共同体としての最初の集団が経験される.それゆえ.いまこの瞬間に、私たちは次のように総括していいであろう――
「私は自分の実践によって発見された集団に全的に統合されてもいないが、また全的に〔それにたいして〕超越的でもない。私は対象的全体性の一部分ではなく、また、私にとって、超越的な対象的全体性というものもない。事実、集団は私の対象ではない。それは私の行為の共同的構造である」。また「私の全体化によって発見され、しかも集団の対象性を否定する実践的統一性は、同時に集団に対する私の対象性をも否定する。なぜなら、この実践的統一性は(私の内にもまた集団の内にもなく、われわれの内にある)同等のものなのだから。」*
*サルトル、前掲書
 なるほどたしかに、私たちの現実からすれば、このような共同体の経験は、見果てぬ夢であり人類の牧歌にすぎないかもしれない。だがこの経験は、あらゆる大衆の反乱で確かに経験されてきたのであり、将来にわたってもそうであろう。こうした経験のめざましさこそが、逆に、「一人は万人のために、万人は一人のために」、「民主集中制と一枚岩の団結」等々の、果てしない政治神話やイデオロギー的スローガンを生みだし続けている、真の源泉なのである。アジテーターたちが、大衆にむかって次のように叫ぶこと自体は、なんら「奇跡」でもなんでもないであろう。

現代の奇跡、それは諸君が私を見出したことであり、私が諸君を見出したことである。(2)

 それゆえ、共同体としての反乱集団の経験が、「現代の奇跡」であり「見果てぬ夢」と呼ばれるのも、この経験が稀有のものであるとか巧妙な人工的作品にすぎないとかいうことではない。そうではなく、この経験の構造そのものがスタティークなユートピアにとどまることを許さず、自ら別の何者かに成っていかざるをえない宿命を孕んでいるために、政治的遍歴の果てにひとはこれを夢のように回想しがちなのだ。
 この集団を集団たらしめている内的構造に、ふたたび注意をむけてみよう。私=共同体という私の集団の統一性は、それぞれ私たち各人のものなのだから、各人の各人による、そのつどの統一が競合的に生起することによって、この集団は、じつは一つの矛盾的な運動の集合によって成り立っているといわねばならない。それはもはや相互性のカオスではないが、政治的見方からすれば、なお十分にアナーキーな構造である。牧歌的な共同体といういささか静的な集団ではなく、そこでは、私による統一の実現を目指す、各アジテーターの目に見えない死闘がくりひろげられている。なぜなら、私による私の集団の統合は、そのかぎり他者たちをこの位置から排除するものであり、そして別の私による集団の実現も同様である。だから、私(そして各人)によるこの統合と排除の闘いは、相互に果てしなく循環し、限度を知らない。
 これこそ、通常、革命のコミューンと名づけられる、この集団の内部の熱度を意味する。集団内部の相互性のこのような自己実現の死闘――かつて私が別のところで「アジテーターと大衆の死闘」として詳述したもの* ――こそ、この集団を熱い集団たらしめている。そしてこの内部構造こそ.この集団をスタティークなユートピアにとどめずに、激しく何ものかに転成させていくであろう。
*私の『叛乱論』参照


第二節 共同観念の爆発

一 暴力を通じて私の共同観念は現実の集団から世界へと逸脱する

 反乱大衆の最初の集団は、内部からみるときこのように熱い集団である。
 たしかに現実には、この集団はそれに敵対する他の集団を否定的契機とし、これらとの敵対的相互作用を通じて形成された。しかしながら、敵対的集団が反乱民衆を集団に形成するのではなく、逆に民衆の共同行動を解体(解散)させるという逆の契機となりうることもまた、実際には真実である。それゆえ反乱大衆の集団形成は、他の集団との交換エネルギーによってではなく、自らの内部エネルギーの熱度によって、内面的統一性を生みだすものとしてしか了解しえない。しかも、集団の内部エネルギーはただちに(一義的に)制度としての組織を生みだすものではない。むしろ、人間の政治的共同性の原初の形にあっては、本質的なものは共同の人びとが思念するまったく心的な過程である。
 それゆえに、生成途上の共同の観念の沸騰状態は、特定の行動スタイルに媒介されて、人びとの「組織実体」や「力量」をはるかに超えた、共同観念の肥大化・絶対化をももたらすのである。この共同観念の絶対的な思念こそは、集団の主宰者としてのアジテーター、あるいは組織としての集団そのものを逸脱し、またこうしたものの欠如を補完することにもなるのだ。すなわち、たとえば――

ハイハイ、私は有体に申し上ます。去る六月十七日、四五万人打揃ひ、処々の金満家を打破るとのことに面白半分、仲間に交り梁川を打毀はし、追々五十沢、大久保、半田、飯坂より福島等押し掛け詰めかけ打破りしは、其面白きこと譬へんやうなく、中にも伝之助宅を打破りし時は、種々様々の品々山の如くに取りし故、私も人と同じに白むく、浅黄むく、上には緋縮緬の惣模様、唐繻子の丸帯を締め、辺りを見れば娘鬘のあるを引冠り、三味線を引きながら彼家を出れば、後より十四五人同装束、笛・太鼓や鼓にて踊り舞ふて引続けり、其時、我心は天上界に生れし如く、一生涯にあるまじと思ふ楽しみをなしました。最早此世に望みなし、思ひ置くことござりません。早速首は差しあげます。頭取なりとも何なりと、あなたの善い様に御取扱ひ下されて少しも厭ひはいたしません。(3)

 この証言は、百姓一揆の打ちこわしのかどで取調べを受けた、無名の農民のものである。一農民による打ちこわしという行動は、それ自体では個別・具体的でかつ局部的で一時的なものにすぎない。彼らを四、五万人の集団とみても、たかがしれている。けれどもこの卑小な共同行動が、彼にとっては、一挙に「天上界」の出来事のごとくに肥大化されて意識されていることを、この証言ははっきりと示している。
 いうまでもなく、この「天上界」における「一生涯にあるまじと思ふ」ほどの楽しみは、農民個人の意識が、意識自体によって開示した世界の味わいなのではない。一揆という民衆の共同行動が行動のうちで、(その限りでのみ)つくりあげた共同の意識である。そして民衆の共同観念は、どのような集団的行動のうちにでも、精粗さまざまに息づいているものなのだが、ここではとりわけ、「此世」の意識にくらべて一種絶対的な世界にまで肥大化されているのだ。一大衆の集団行為が具体・卑小のものであればあるほど、それは彼らの集団的意識の絶対性と激しいコントラストを示す。
 このような絶対化された意識のもとでは、農民たちにとっての集団の意義も、現に行動をしつつある「十四、五人」あるいは「四、五万人」の、現実集団の範囲に限定されえなくなる。集団は「此世」を超脱し「天上界」で行動する者たちの、此世とは別次元の世界(地平)として意識されるのだ。そこは世直しの場処である。共同意識におけるこのような集団の逸脱、現世超脱こそが、一人の農民をして「最早思ひ置くことござりません」といわせるほどに、一瞬人びとを強くとりこにした。それは「最早此世に望みなし」といわせるほどの味わいであった。
 集団を別次元の世界とまで思念させるプロセスを媒介する、私たちの共同行動のスタイルについても、この事例は明瞭に語っている。一揆の農民たちは、たとえば「年貢軽減」のような具体的行動目標と行動スタイルのもとに、集団を形成していたであろう。だが、一揆が「打毀わし」という行動スタイルをとることによって――後述するように、これは一揆が「世直し一揆」の形をとるさいの一般的スタイルである――、農民集団の共同性を媒介する機構に根本的な変化が生ずる。世の現実をなんらかの形で破壊する共同の暴力として、この「打毀わし」という行為を一般化すれば、まさにこの大衆的暴力という行動様式をつくりだすことによって、彼らの共同観念は、彼らが現に破壊しつつある「此世」を超脱する。
いま「女装」という行動様式に注目してみよう。さきの例のように、一揆の農民たちが女装するのは、「おかげまいり」なども含めた世直し行為にしばしば見出される事実である。こうした女装は、「世直し」のごとき共同観念の飛翔過程にとって、どのような機能をはたしているだろうか。
 一般に近世末期の世直し型一揆においては、激しい打ちこわしという闘争形態を通じて、「村落の共同体的規制からさえすでに離脱した、飢えた半プロレタリア階層が広汎に参加」するようになる。* 
 狭い伝統的な共同体にとらわれてきた農民たちは、一瞬、行動する無定形の民衆へと溶解し、一揆を準備した中核集団もこの広汎な大衆の蜂起のうちに没してしまう。アジテーター(「義民」)やその集団も第一次的には問題にならぬ。各人は、特定の村落や一集団の一員であるよりも、「窮民」として一つのものである。この事実は、すでに述べたように、反乱における自己の既成の社会的規定態の清算として、農民一揆に限らず一般的な事柄である。
*安丸良夫「民衆運動の思想」(岩波日本思想体系58『民衆運動の思想』)
 だとすれば、一揆での女装という行動様式は、この清算が男女の性の上での社会的規定性にまでおよぼうとしている点で、まさにきわだっている。農民たちは、彼らの旧来の社会的諸形態の清算を、性の社会的形態である衣服の差別の清算にまで極端化するのである。
 いうまでもなく、性の差別がこの世の秩序の根幹であってみれば、このタブーに触れる集団的女装という行動スタイルは、端的に社会的暴力の一形態に属するであろう。農民=私は、「十四、五人」の同行者が女装するのを見る。むしろ、私は、同行者の女装において私が女装するのを見る。女装という共通の行動スタイルは、私が彼らと、いまや旧来の世界のタブーを決定的に破ったという、共同の意識で結ばれていることを確証する。つまり、女装はたんなる服装の問題ではなく、大衆の武装と同じように、すでに私と彼らとの共同性を意味するシンボルとして私たちを結び、かつ同時に私たちから分立して集団行動のスタイルとなっている。それは、言葉以上に雄弁に、社会の根本的タブーを破るという激しい解放感の象徴となるのだ。
 女装といい武装といい、こうした暴力という行動様式こそが、逆に、このスタイルをとる者たちの観念を、この世のタブーにむけて戦(おのの)かせつつ昂揚させていくのである。そして、かの農民が、かかるスタイルで結ばれた集団行動を、「此世」ならぬ「天上界」のもののごとく観念しているように、日常的な行動様式とは根本的に異なるスタイルを媒介とすることによって、私たちの共同の観念は「此世」を破壊し、これを超脱する。
 こうして、一揆という、時間的にも空間的にもきわめて局限された集団が、集団の意識において別次元の「世界」にまで、度はずれに一挙的に膨脹をとげる。たしかに、「天上界」あるいは「みろく世」、「めでた世」という別世界の表象は、世界像といいうるにはなおまったく漠としたものにすぎない。だが、反乱民衆の自己表現が、明瞭な言語体系にまで表明されているかどうかは、反乱自体の記述にとって本質的なことではない。いまの段階で、彼らの世界像の貧しさや「展望の欠如」を指摘することは場ちがいのことだ。暴力や女装といった行動スタイルのうちにこそ、彼らの共同の観念の沸騰を読みとらねばならない。その意味では、「みろく世」といった伝統的かつあいまいな観念も、民衆の行動を相互に一つに結合する媒介としてそのつど新しい。こうした共同の観念の肥大化は、民衆の反乱を、たんに制度的・組織的集団とそのスローガンの位相でとらえることによっては、けっして解くことはできないのである。


二 世界思念によって私は私の集団にエネルギーと矛盾を充塡する

 百姓一揆を例として述べた以上の機構は、大衆の反乱が「世界」の思念を形成するさいに、一般的に見出しうる事柄である。手近かな例では、一大学の個別的な要求(「七項目要求」等々)を掲げてはじめられた学生の反乱が、「大衆武装」という行動様式を通じて、ただちに「反大学」や「反権力」の意識にまで度はずれな膨脹をとげた事実を、ちょっとでも思いおこしてみればよい。ここでも「反大学」等々の観念が、どこか外から提供された「戦略的概念(スローガン)」のごとくにとらえることは誤っている。実際、学生反乱の集団は、こうしたスローガンを外から受け入れた(採用した)のではない。逆に、この集団――全共闘――の組織としてのルーズさ(きゅうくつな「組織」からの逸脱)を。「反大学」といった絶対的否定の観念と、これを通じた成員の強い心的結合こそが補完していたのであった。
 それでは、このような「世界思念」としての共同観念の絶対化は、これまで記述してきたアジテーターと大衆の弁証法に、どのように関連しているだろうか。
 前章で私は、アジテーター(たち)による集団への多数者の統一が、原初的段階では、本質的にいま・ここにおける総合であることを強調した。そして、アジテーター(アジテーター=大衆)による、おのおののいま・ここにおける集団化が、たんに局部的でばらばらの統一の生起ではないとしたら、それはまさに、各いま・ここが一つの共通の観念とその表現としての一定の行動スタイルへと、「普遍化」されるかぎりにおいてのことなのであった。それゆえ、このような反乱集団の構造を根幹として、反乱における世界の生成を、いまあらためて次のように明文化することができる。アジテーターの行為がつくりだすいま・ここにおける共同性は、暴力という共通の行動様式を通じて絶対的に共同主観化され、絶対的ないまとここ、すなわち世界となる。
 私が現に反乱しているいまとここが、同時に共同の観念のなかで絶対的ないまとここ(世界)にまで膨脹をとげることは、反乱行為の局所性とその思念の気宇広大さとの、滑稽なまでの対比となって現象する。ひとは、集団の歴史というとき、何か単線的な進化のように考えがちだけれども、この歴史の冒頭で集団は一見まったく逆方向への逸脱を経験するのである。前章の集団形成が内部構造をもった組織を凝集しえなかったのもこのためだし、現に、反乱のアナーキーのなかで、ひとは新しい集団の形成などありようもないと考える。だが、反乱内部のスタイルの無秩序に目をうばわれて、そこに集団の成立をみないならば、反乱はしょせん反乱に終るしかないであろう。そうは終りえず、かえって集団の歴史の出発点を画するところに、何よりも心的なものであるこの世界内部の統一性が、まぎれもなくその存在を主張しているのである。そこに集団はあるのだ。それゆえ、この集団が心的に世界へと脱することは、さしあたっては集団の矛盾であるしかない。そしてやがてみるように、この矛盾こそ、私の最初の集団内部に、政治組織とは異なる独得の相互性の構造を生みだすのである。
 集団の成立が同時に集団の逸脱ともなるような以上の経験は、私の集団が大衆の反乱から出発したからこそ生じたのである。私が自らの古い規定性を清算することからして、すでに反乱は定義上暴力的なものだ。そしてこの清算は、別に私の「主体的」決意性によるのではなく、私が女装や武装という暴力行動をとることと同じことだった。この極端さが、私の最初の集団における内部経験を、特異なものとするのだ。
 反乱に投入された私たちの古い諸集団は、いわば自ら解体することによって、反乱にエネルギーを提供する。それゆえ、ここから再形成された私の集団は、その成立の冒頭で最大限に反乱のエネルギーを充塡する――この私のちっぽけな集団に、である。どうして私たちの心が、集団の狭い範囲を逸脱しないわけがあろう。いわば私は、これからの長い政治の経験史を歩み切ることができるように、しかしそれとは知らずに、いま私の「熱い集団」を充電することに熱中しているのだ。
 たしかに、私の経験史のもっとあとの段階からふり返ってみれば、こうした冒頭の経験は、政治的にはきわめて特殊のものといわねばならない。私はここで、エネルギーとともに政治的な矛盾と非合理をも、私の集団に充塡したのだ。だがこれとても、集団の経験を先へ先へと駆動していく原動力として、集団の内部矛盾を満載したことなのだと、私はだんだんに気づいていくであろう。
 それゆえ、私の集団の反乱世界への逸脱は、大衆の反乱集団が政治的組織へと展開していくために、ぜひとも経過せねばならない大きな事件なのだと、あらかじめ心にとめておこう。したがって、このような集団の絶対的主観化の運動を、ここでただちに度はずれの非合理として断罪することはできない。たんにこれが政治的経験の母胎における顕著な事実だからではない。政治がいまなお形成の途上にあり、流動の段階にあるということが、十分に強調されねばならない。アジテーターのいま・ここの共同性は、既成の共同性の発見(参加)でも、既成の全体的概念にもとづく演繹なのでもない。一言でいえば、それはなんら日常的な儀式なのではない。それは、大衆の既成の規定態の清算によって生じた、混乱と混沌からの形成であり、あたかも人びとはそれを、無から新たなもののごとく創建するのである。混沌からの世界創造の宗教的思念(創世神話)に似て、アジテーターによる世界創造には、非合理はあっても神秘化しなければならぬ過程はなにもない。世界は、アジテーターによる共同性創出の弁証法の過熱、その果てにおける共同観念の爆発としてあるのだ。
 形成途上の行為の共同性は、このような意味で、排他的なコスモスにまで絶対的に主観化される。いいかえれば、私の共同性の生起するいま・ここは、歴史的に形成され意味付与された具体的ないまとここではない。それとは断絶した空間と時間が、共同の意識において生起している。これは、歴史的現実からの極端に共同主観的な超越である。
 しかしひるがえってみれば、近代の支配階級がかつて新興途上の階級であった時期には、彼らブルジョアジーにしても、自らの労働倫理を一つの世界像にまで超越せしめたのだった。もちろんそのためには、近代資本主義の世界市場制覇という「物質的基盤」が不可欠のことだったが、この歴史的根拠に裏打ちされて彼らの世界像は――「近代的世界像」、近代世界のイデオロギーとして――自らの共同性が文字どおり世界そのものであるという、排他的かつ独善的主張にまで高められたのだった。
 だから、こうした既成の世界=世界像(つまり「此世」)の内在的破壊としての近代の大衆反乱が、自らの共同性を「此世」ならぬ別の世界にまで肥大化させ思念することは、それ自体なんら非歴史的出来事ではない。ただこの思念が、たんに一瞬の文字どおりの思念に終るか否かが、いまからただちに歴史的検証を受けていくというにすぎない。


第三節 反乱世界

一 神話世界の聖別――私は空間の制約を忘れ絶対的なここに生きる

生きてる 生きてる 生きている
バリケードという腹の中で
生きている

つい昨日まで悪魔に支配され
栄養を奪われていたが
今日飲んだ「解放」というアンプルで
今はもう 完全に生き変った
そして今 バリケードの腹の中で
生きている

生きてる 生きてる 生きている
今や青春の中に生きている(4)

 私の思念する「絶対的ないまとここ」、つまり私の世界の内部が、どのような論理と色彩で息づいているかを、この例はよく示している。「バリケードの腹の中」は、まさに、私にとってこのような世界であり、いうまでもなくたんなる物理的空間なのではない。この世界では、善悪のけじめのはっきりした秩序が支配している。それは、バリケード外の世界(「此世」)とも、「つい昨日まで」の「悪魔に支配され」ていた世界とも、まるで異なるものであり、これらとはっきり対立し、闘争する世界である。そして私はこの世界で、なによりも「生きている」のである。
 バリケードは、まさに、この世の秩序を破壊的に超脱する暴力的手段である。それゆえ、この手段を通じて獲得された空間は、たんに集団の容器などではない。思いもかけず、それは或る独特の世界として私たちに感得されるようになる。そして容易に気づくように、この世界の構造と色彩とは、日常世界のどこにも見出しえないものであり、むしろかの「神話的世界」にきわめて類似したものとなっている。
たとえば、手近かなところでカッシラーが次のように記述するのを、さきの引例と対比して読んでみよう。
「神話の世界は劇的な世界である――行為の世界であり相闘う努力の世界である。自然のあらゆる現象において、神話的世界は、これらの勢力の衝突に注目する。神話的知覚にはつねに、このような情動的性質が入り込んできている。見られたり、感じられたりするものは皆、特別な雰囲気――悲喜、苦悶、興奮、昂揚、沈鬱の雰囲気――によって、取りまかれている。ここでは『物』を死んだもの、または感情的無色(無記)のものとして語ることはできない。すべての物は、好意か悪意をもつものであり、友情か敵意を抱くものであり、親しみか気味悪さを示すものであり、誘惑的、魅惑的また反撥的、威嚇的なものである。我々は、この人間経験のエレメンタリーな形態を、容易に心に浮べることができる。なぜならば文明人の生活にさえ、それは決して、もとの力を失わず存続しているからである。激しい情動的興奮状態にあるならば、我々も亦、あらゆるものについて、劇的な概念をもつのである。それらの物は通常の姿を示さない。それらは突如、その相貌を変化する。」*
*カッシラー『人間』(宮城音弥訳、岩波書店)
 現在までの「神話学」の分厚い知識の蓄積を使えば、私たちは、反乱の世界と神話的世界との類縁関係をいくらでも証明することができるだろう。だがそれにしても、日常的政治世界にくらべれば、およそ色彩の異なるこのような世界が、ほかならぬ私の政治的経験の舞台に登場してくるのはどうしてか。
 しかし、私たちがいまちょっとでも、マルクス以来の革命運動の歴史的経験を思いだしてみれば、こうした事態の実際上の事情に思いあたることは容易であろう。たとえば、政治の場面で神話あるいはユートピアを論じたことで有名な、ジョルジュ・ソレルをみよう。
 ソレルの『暴力論』(一九○六年)は、いまになって読めばいささか退屈だが、この著作のもった影響が、ヨーロッパ一九二○~三○年代の状況に深く結びつくものであることだけは容易にわかる。
 『暴力論』自体は、ベルンシュタインを代表格とするヨーロッパ社会主義の議会主義的変貌にたいする、フランス・サンディカリズムの実践――それは世紀の変り目前後に急速に燃え上り、燃え尽きた――を背景とした論戦だった。しかし、ロシアでのボリシェヴィムの勝利と、一九二○~三○年代のファシズム大衆運動の勃興のうちでこそ、この著書は、その実際上の問題性を全面的に明らかにしたのである。
 なぜなら、サンディカリズムの運動が、とくにフランスにおける前世紀的労働者の存在を基盤として、ベルンシュタイン等の「近代的組織労働者」の運動にたいする反対潮流を形成したものであったのにたいして、第一次大戦後からファシズムへいたる時期の大衆運動は、はじめて、近代における政治、とりわけ革命運動のもつ根源的「非合理性」を、否定しがたい力をもって万人につきつけたのだということができる。「神話の理論は、議会主義的思想の相対的な合理主義が、自明性を失ったということを示す最も力強い表現である。」* だから、蜂起した大衆が、その共同性創出の最初の段階において、自らを世界にまで絶対的に共同主観化するという前述の構造が、一つの「非合理的」政治理論にはっきりした表現を見出すことは必然の勢いである。とりわけ、いまなお私たちが考慮するに値する三つの政治理論――ボリシェヴィズム、アナキズムおよびファシズム(あるいは民族主義)――は、いずれもまさにこの時期に、それぞれの根本的足場を、大衆のこの共同性の構造にもっていたのである。
*カール・シュミット『現代議会主義の精神的地位』(稲葉素之訳、みすず書房)
 それゆえ、「革命神話」の歴史的復権は、日常的な改良運動(組織)へ変質した、ヨーロッパの「労働者階級の一大組織」にたいする攻撃だったのであり、この点ではボリシェヴィズムをはじめとする三つの政治運動は、いずれもその根拠を共有していた。いいかえれば、どのような政治性格のものであれ、大衆的な革命はすべて自己の神話的世界を発見するのである。マルクス―エンゲルスの発見した近代的組織労働者たちが、たんにこれを一時忘却したというにすぎず、またその後も、しばしば忘れることがあるということにすぎない。
 こうした歴史的背景からみれば、ソレルが、その政治神話の復権を、なによりも「ユートピアの理論」の攻撃を通じて主張したことが理解できる。すなわち、

大衆によってうけいれられる神話(ミート)がない限り、人々は反逆については無限に語ることができるが、しかし決していかなる革命運動をもひき起すことはできないであろう。
現代の革命的神話(ミート)は、決定的闘争に突入する準備を整えつつある人民大衆の活動・感情および思想を理解することを得させる。それは決して〔死んだ〕事物の叙述ではなくて、〔生きた〕意志の表現である。空想(ユートピア)は、これに反して、ある知能的労働の所産である。それは、諸事実を観察し、論議した後に、現存ユートピア諸社会の包含する善悪を測定するためにこの現存社会と比較し得べきある模型(モデル)を確定しようとする理論家たちの仕事である。
われわれの現在の諸神話(ミート)が人々を駆って、現存するものを破壊するための戦闘への準備を整えさせるのに、他方、空想(ユートピア)は、現制度を分析することによって実現し得べき改良という方向へ人々を向ける効果を、つねにもつ。(5)

 ここで「ユートピア」というソレル独得の用語は、もちろん文字どおりの「空想」という意味ではない。これは、ドイツ労働者階級を指導する者たちの、いわゆる改良主義の理論とスタイルとしてこそ、はじめて意味の通る用語であろう。それゆえ、ソレルの「ユートピア」攻撃は、革命派から転落していった労働者階級の秩序派への破壊要求として、それ自体が神話的な文脈のうちにある。
 「ユートピア」を破壊する革命神話として、かつてフランス・プロレタリアートをとらえたのが大革命の伝説であったが、今日では「総罷業の神話」が労働者運動を支配している、とソレルはいっている。けれどもソレルが、蜂起する民衆の共同観念・世界の観念をほかならぬ神話と名づけたのも、もちろん、神話の「未開性」や過去の出来事を典拠とする性格にもとづいたものではない。呪術的・神話的思考を無際限に「合理化」することで成立してきた近代の思考と世界観にたいして、これを破壊する行為の共同性がいだく世界像が、むしろ決定的に「神話的世界」の構造をもつものであることを主張するのである。
 してみれば、「事実としての大衆反乱」という私の記述の出発点が、ここでふたたび想起されるであろう。反乱はたんに、大衆がその敵対物を破壊するところに本質があるのではなく、なによりも、従来の自分自身――「彼は社会的に何者であったのか」――の解体・破壊を通じて生起するものであった。これは「マルクス主義に組織された労働者階級」の場合と変らない。反乱が、いつも暴力という行動様式と分かちがたく結びついている根拠がここにある。だからそうだとすれば、歴史上の無数の大衆的反乱が、それぞれにこの行動様式を通じて、独自の世界の観念を思念してきたことは、きわめて自然のことだといわねばならない。史上名高い革命の諸事件といえども、このような無数の大衆反乱の経験を背景に屹立しているというにすぎないのだ。
ただ革命の時期は、反乱した大衆がその共同観念を、たんに一つの世界にまで膨張させるだけでなく、全宇宙を判然と二分する世界の一つとして形象する点で、きわだってくる。ただ二分するだけではない。他方の世界にたいして一方をはっきりと聖化するのだ。
 「つい昨日まで悪魔に支配され」ていた大衆に対比して、「バリケードの腹の中」は「聖なるもの」と思念される。「悪魔」などにたいして自己を聖化するというこの証言は、宗教的経験における世界把握との類縁性をただちに思いおこさせずにはいないものである。エリアーデが例証するように、宗教的経験でも、ひとは俗なる(歴史的)時空の内部に、これと断絶した聖なる世界空間・世界時間を創建するものだからだ。* そしてまた、小さな領域の生が聖なる世界として意識される事実を根拠に、この意識を彩る宗教的・政治的大言壮語がそれこそ大衆的に生産されるのも、両者に共通していることだ。地方的な農民一揆が、意識のうえでは「みろく世」を開示し、また「日本窮民為救」とまで自己主張される。ひとはガードに守られたバリケードの入口をひとたびくぐれば、日常的時間・空間とは別の「非日常性」の世界、「バリケードの腹の中の青春」に生きるものと思念される。
*エリアーデ『聖と俗』(風間敏夫訳、法政大学出版局)参照
 こうしていま、集団そのものを逸脱した私の世界思念は、たんに私の共同観念が勝手にでっちあげたものではない。はっきりと「もう一つの世界」「別の世界」に対立しつつ、これから自分の世界を聖別するのである。
 そして、私はもとより宗教的経験の世界にいるのではなく、政治世界にいるのだから、この「別の世界」は、たんに俗なる世界にとどまってはいない。やがて次章で経験するように、それはまさに私の「敵の世界」として、私の面前に登場してくるであろう。次の証言は、こうした敵世界と宇宙を二分して、いま私の世界が息づいていることを暗示するものである。

大衆は、さながら革命の凱旋門に流れこむように、ソヴェトに集った。ソヴェトの外部に残っているものは、ことごとく革命から脱落していくように感じられ、なにかしら別世界にぞくするようにおもわれた。事実またそうであった。ソヴェトの境界外にのこっているのは、有産階級の世界であった。そこでは、いまやあらゆる色彩が混合して、ただ一つの灰色がかったピンクの保護色に化していた。(6)

 もとよりことわるまでもなく、民衆の蜂起の日々に、その舞台が物理的には「此世」の中のごく一部を占めるにすぎないことは通常である。この舞台を世間のすべてが注目しているなどというのも錯覚である。パリ・コミューンの日々、ブルジョアたちの「酒池肉林の宴」が催されているその街裏で、まさにパリ民衆の殺戮が展開されたとマルクスは書いている。またジョン・リードは、ペトログラードの革命の日々、常に変らぬボリショイ劇場の貴顕紳士の列のことを報告している。すべてこうしたことはありふれた光景である。日常の世界があり、日常はその歩みを止めてはいない。反乱の舞台は、たかだかこの世界内部に併存する一領域というにすぎない。
 物理的・客観的にはこれは事実だ。しかし、しかもなお、蜂起した私たちは、まったく排他的・独善的にこの舞台を世界と思念し、余の世界は目に入らない。目を閉じたからなのではない。逆に、私は目を開きすぎて遠近法を失っているのである。
反乱の共同性におけるこのような主観的な現実超越が、ただちに歴史的現実の病理的倒錯を意味するものではないことが、くりかえし注意されねばならない。こうした共同の観念の沸騰は、あらゆる本質的に新しい現実の創造のために不可避的な前提だからだ。この超現実の新たな現実化というプロセスによってのみ、「革命的秩序」も「新しい社会」もその建設の途につくことができる。


二 ユートピアの現前――私は時間の命令を忘れ絶対的ないまを生きる

汝等よく聞け。金銀のあるにまかせ多くの米を買しめ、貧乏人の難渋を顧みず、〔米を〕酒となして高値に売、金銭かすめ取る現罰逃るべからず。今日只今、世直し神々来て現罰を当て給ふ。観念せよ(7)

 ここでいう「世直しの神々」の世界や「みろく世」のように、史上すべての反乱世界は、それぞれに一つのユートピア的世界像をもつといってよい。たんに断片的な言葉や行動スタイルから読みとりうるにすぎないものから、明文化された言語表現をもつものにいたるまで、内容的には精粗さまざまだとはいえ、この事実に変りはない。いまは、こうしたユートピア的世界像のさまざまな内容に、ちよっとでも立ち入ることはできないし、その必要もない。これまで「ユートピア」という言葉にまつわりついてきたさまざまな衣裳(ソレルによるユートピア論難など)を気にすることなく、ただ既成の世界秩序の破壊を通じて歴史的現実を超脱する共同意識の表現形態を、ここではユートピアと名づけておこう。だからこのかぎりでは、暴力という行動様式を通じて人びとの共同観念が自分たちの舞台を――集団ではなく――世界とまで思念することと、何か別のことが問題なのではない。ユートピアは反乱集団の世界意識につけられた名前である。
 だがここではとりわけ、ユートピアのもつ時間意識の構造が、とくに問題とされねばならない。ユートピアは、その定義からして、歴史的現在を超越する時間意識を特徴としている。事実、すべてのユートピアは、内容からいえば確かに、実現すべき(典拠とすべき)過去や未来の秩序を表現している。「堯舜天照大神の時代に復る」と、大塩中斎の檄文もいう。現在にいたるまで、多くのナショナリズムの革命は、実現すべき秩序の範例を過去の世界に求めている。また、千年王国論から共産主義的共同体にいたる未来のユートピアについてはいうまでもない(万人にパンとバラを――マルクス)。
 けれども、反乱集団の共同観念という観点からみるときには、典拠とすべき過去の秩序や獲得すべき未来の目標などは、ユートピアにとって、じつはまったく非本質的な事柄なのである。実際、さきの引例は、或る百姓一揆の打ちこわし現場でのアジテーションだが、ここでは「世直し神」は過去や未来のことではまったくなく、まさに「今日只今」現前するものといわれている。ユートピア的世界を、人びとは現に新たなもののようにつくりだすのであり、この世界を全き意味で現に生きるのである。これにくらべるならば、ユートピア的秩序の将来における実現などは、じつのところどうでもいいものとすら感じられている。ここでもまた、私の集団における、「いま・ここ」の絶対化ということがおこなわれている。私にとっての「いま」とは、過去から未来へ流れる非可逆の歴史的時間には属さない。これとは別次元の時間として、絶対的な「いま」が経験されているのだ。
 カール・マンハイムもいうように、「千年王国的な体験の、本当の、おそらくはただ一つの直接的な特徴は、絶対的な現在の存在、絶対的な現在である。」* 宗教的世界では、時間は過程ではなく、宇宙創造における時の永遠の再現であり、実際、多くの原住民では「コスモス」という言葉がまた「歳」の意味にも使われているという事実** と、ちょうど類縁の関係がここにもあらわれている。アジテーターたちの共同観念が自らの属する世界を創造することは、同時に、この世界の時を現に生きるということを意味している。本節冒頭の証言がいうように、「生きてる 生きてる 生きている バリケードの腹の中で 生きている」というわけだ。
*カール・マンハイム『イデオロギーとユートピア』(鈴木二郎訳、末来社)
**エリアーデ、前掲書
 世界思念に対応する反乱集団の時間構造は、このようにして端的にユートピアの現前である。そして私のこのような時間経験は、現実的な集団形成が――世界思念と同じ方向で――「逸脱」されることを示すものとなる。反乱集団の形成は、ことわるまでもなく具体的な「いまとここ」――「此世」での出来事である。まして現実には、この集団形成は「敵」との相関のもとでなされたのであり、集団の今後の政治的経験についてもこのことは変らないのだから、集団は歴史的現実において「時間の命令」に従わねばならない。だが、熱い集団を形成する私たちの集団的意識は、自ら思念した世界においてこの命令を忘却する。夢にまどろむからではなく、一瞬を過度に生きるがために、私は時間の非可逆的測度を失う。のちに他の集団との敵対的闘争の現場で、反乱集団のこうした意識構造は、私の集団に重大な結果をもたらすであろう。
 しかしことわっておくが、この「逸脱」は、集団のユートピアの内容が荒唐無稽のものであり、「科学的」あるいは「戦略的」に確定された未来像とはほど遠い、という事実からもたらされたものではけっしてない。アジテーターたちの集団のユートピア的世界像は、民衆のつくりだした共同性が、一定の社会的・言語的形態を分立させるようになる過程の一表現である。それゆえ、外部の観察者がこの関係を逆転させて、一定の言語的形成物、神話やユートピアの内容自体から、民衆の共同的経験を逆規定していくことは、いつも多かれ少なかれ誤解(解読の失敗)の類を意味する。早い話が、プラトンの国家論にはじまる政治的ユートピアの書かれた歴史は、それ自体では民衆の政治的経験について何事も語りはしない。前者から後者を解読するには、いつも一定の方法論的手続きが必要だ。たとえば、書かれ語られたユートピアが常に特徴とする静的な秩序の著しさは、これを生みだした民衆の政治的経験の動的な混乱と対立とは、激しい対照を示している。彼らの行為が静謐な秩序を生きているのではないことはいうまでもないが、ユートピアの内容はまた、彼らの憧憬の表現ですらない。ユートピアの内容をなすごとき、新秩序へむけての激しい現実超越の志向こそが、読みとられるべき事柄である。のちにこの集団的志向が言語的シンボル体系として抽象されるとき、ユートピアの内容たる一定の観念体系は、その集団からすら離れて機能していくことになる。マンハイムが、いま一つの現実超越志向としてとりあげたイデオロギーへと、ユートピアが機能転化をとげていくのである。
 だがともあれ、いまは、アジテーターたる私の発言において生起している時間は、ある「絶対的な現在」である。かつて、さる「革命の神学者」が次のように説教したとき、彼は歴史的現在にのみかかわるという現実政治の鉄則を語っているのではなく、まさにアジテーターがその発言において経験する、「時」の性格について告げようとしているのだ。

それゆえあらゆる預言者はみな、「主はかくのたまう」という言い方で語るのであり、それが過去のことになってしまったかのように「主はかくのたまえり」とは言わずに、現在のときにおいて語るのである。(8)


第四節 反乱世界の統一性

一 私は反乱世界のシンボルを体現しカリスマとして神格化される

 私は反乱の現場で最初の集団を形成しながら、しかも、意識のうえでは、この現実の集団をはなはだしく逸脱する。空間意識のうえでも時間意識のうえでも、私は「此世」を超脱する。今後、戦闘組織として自己の内面を整備していかねばならない集団にとって、これはまったく逆方向の逸脱にみえる。反乱集団は同時に反乱世界である。
 それゆえ、世界としての反乱集団は、一見するところ秩序もなく、たんにスタイルの乱雑さと混線とに彩られているようにみえる。集団の世界への逸脱は、端的に集団なるものの解消のごとくに、外界からは思えるのである。

革命はまだなに一つ儀式をもたなかった。街頭は煙につつまれており、大衆はまだ新しい歌を知らなかった。会議は秩序もなく、岸辺もなく、さながら氾濫した大河のようにすすんだ。ソヴェトは、われとわが感激に窒息せんとしていた。革命はすでに巨大であったが、なおナイーブだった。まるでナイーブな幼な児のように。(9)


 だがそれでは、このような共同的世界のもとでは、はたしてアジテーターたちを核とする集団の現実的統一は、なお可能だろうか。反乱世界は、第一章で記述したようなこの集団の内面的機構を、かえって、端的に解消してしまうものではないか。事実、最初に大きな勝利をかちえた大衆反乱は、再び敵にまみえたとき、しばしばあまりにもあっけなく雲散霧消してしまう。これなど、最初の勝利にともなう共同観念の爆発が、集団の自爆をもたらすことではないか。
 この反乱世界の自爆は、次のような現実的な理由にもとづいて生起する。つまり、反乱の共同観念の爆発が、反乱を準備した集団をも溶かしてしまうということである。実際、このような反乱の中核組織が、逆に、決起した大衆へと「溶解」したり「埋没」したり、あるいは大衆たちに「乗り越えられ」たりすることは、反乱のまったくありふれた光景の一つである。十九世紀のフランスで、大衆決起を準備し、その乱雑さを形づけることにほぼ五十年にわたって腐心した一革命家が、当の大衆的蜂起の瞬間に次のように記するとき、これもまた典型的な光景といいうるだろう。

誰も思い通りに大衆活動を指導しはしない。それを成功させるよりも、その中にまぎれこむ方がよっぽど楽だ。激昂する群集の波浪のなかで、地上から持上げられ、大波によって、一種のマネキン人形のように波のまにまに漂い、あちらこちらへ揺れ動かされるのは、あまり居心地のいいものではない。それが私の位置だった。あげくのはて、とうとう演壇に放り上げられて、やっと一瞬私は自分を取り戻すことができた。皆は私に向って叫んだ「話してくれ!」と。私は語った。(10)

 けれども、政治集団が自らの成果(大衆の反乱)に逆に呑まれてしまうという、この唖然たる光景は、私の記述ではすでに反乱というものの定義に含まれていたことにすぎない。このことは、中核集団のオルグから大衆の蜂起への道筋が、前者を出発点とする直線的な発展としては、事実描けないことを示している。反乱は「此世」と断絶した世界を心的に構成するのだが、この断絶は、反乱の以前に「すでに存在していた」政治的諸組織にたいしても、まったく同様なのだといわねばならない。私の政治史の記述が、反乱を組織した集団から出発しなかったのは、まさにこのためであった。
 しかし、かくして私はいま最初の集団の成立にまでたどりついたのだが、この集団が今度は反乱を組織化する政治集団へと転生するのをみとどけずに、私はふたたびふりだしにもどらねばならないであろうか――このように本節冒頭から私は自問しているのである。
 けれども、私がこれまで反乱をたんなる無秩序な空間としてではなく一つの世界――しかも他の世界から激しく自らを聖別する世界――として経験してきたことは無駄ではなかったのだ。反乱世界は、私たちが最初の集団を形成した、相互性の構造を失ってしまったのではない。私の世界は、集団形成の単純な否定として、無秩序な群集への回帰を意味するものではない。私はただ、私たちの最初の相互性が、そのまま政治組織へ「発展」を許すのではないことを強調するだけである。私の集団形成の自 己否定として爆発する反乱世界が、まさにこの「発展」のまえに介在する。それゆえこの世界は、政治組織の内面とは別の、独特な相互性の構造を――強く――もっているのである。
かくしてふたたび、「激昂する群集の波浪のなか」に漂う「元指導者」としての私に、視線をもどそう。私はこの群集の世界に翻弄され、「あげくのはてに演壇に放り上げられる」。ここで「一瞬私は自分をとり戻し」、皆にむかって――ふたたび――「私は語った。」
 けれどももちろん、私はもはや反乱を準備した私の組織に語っているのではない。目前の群集に語っているのですらないのだ。すでに私は、他の無名のアジテーターとまったく同様に、群集のなかで形成された最初の集団として語っているのである。「話してくれ!」と私にむかって叫ぶ皆とともに、私たちの間には、前章で集団の成立として経験された相互性がすでに根づいている。
 こうして、いまや反乱世界の一アジテーターとして語る私には、しかし、以前にはみられなかった独特の性格が、はっきりと付与されるようになる。
「世直し神々来て現罰当て給ふ」という以前の引例をもう一度想起してみよう。この「世直し神」については、研究者が次のように適切な指摘をしている。
「『世直しの神』とは、一揆の威力をあらわすたんなる比喩でもなく、さりとて、打ちこわしをする民衆とはべつに存在するものでもない。打ちこわしをする民衆のうちに『世直しの神』が体現しているのであり、それは特殊な媒介された形態で高揚した 民衆の自意識の至高の権威性の誇示にほかならない。そうした意識は、個々の民衆の日常性のなかには存在しないものであって、特殊な集団行動のなかでだけ、民衆は自分でも統御しえないような高揚した集団的自己意識をもつようになり、それを『世直しの神』という媒介されたやや宗教的な形態で表現しているのである。」*
*安丸良夫、前掲書
 このような意味で、「世直しの神」は一揆農民の「集団的自己意識」の表現形態であり、端的に共同観念のシンボルとして機能している。だがさらに、この抽象化されたシンボルは百姓一揆の伝統のうちでは、しばしばある特定の指導者の身柄それ自体と一体化される。実際にはたんに「よく口利ける者」や「小ざかしく口きく男」等として衆にぬきんでていたにすぎない一揆の指導者たちは、かの「義民」や「世直し大明神」と呼ばれて神格化される。大塩中斎は「世直し大塩平八郎」であり、慶応二年の一揆指導者菅野八郎が「世直し八老大明神」と呼ばれるなど、農民によるアジテーターのこの神格化は、近世百姓一揆の一般的な伝統である。
 ここで反乱集団のアジテーターがもつもともとの矛盾を思いだしてみよう。集団の各アジテーターたちは、一方ではその機能を特定の一アジテーター=私へと仮託する傾向をもつ。これは集団の人格化である。だが他方、より本質的には、アジテーターたちは一定の行動様式や言葉として、集団なるものを各人から超越せしめるものでもあった。特定のアジテーターの身柄と、スタイルとしての集団とは、最初の熱い集団における相互性の媒介構造がもつ、二つの極とも名づけられるものである。
 このようにみれば、いまや、ここ反乱世界では集団は特定の指導者の身柄へと人格化され、同時に、この人格はユートピア世界を体現する神威として超越的に神格化されているのである。いいかえれば、もっとも身体的なもの(人格)ともっともシンボル的なもの(神)という媒介の二極が、いまここでは、一アジテーター=私において一体化されて現象しているのだ。反乱集団の相互性の二極、人格化と神格化とがともに一体化されたものとして、アジテーター=私はいまやカリスマである。実際、熱い集団の共同性はカリスマ集団という形をとりやすいのであり、その内面の意味がここにある。そしてこれは、反乱世界における指導者=アジテーターがもつ独特の媒介機能を教えている。
 しかしながら、以上から、反乱集団はすなわち特定のカリスマの集団なのだと一般化してはならない。じつはさきの「世直し八老大明神」なども一揆指導者が自分を神と僭称したのではなく、一揆ののちに、ある種の伝説のごとくにこの神格が流布したものにほかならない。いわゆる義民伝説にしても同じである。だからこの場合にも、やはり「世直し大明神」は特定の人格化というより、一揆民衆各人のシンボルとして機能し、流通したのだということができる。
 さきにあげた「今日只今」の農民にしても、彼の集団の特定のカリスマを「世直しの神」と呼んでいるのではない。過去の指導者を神格化し伝説化する近世百姓一揆の伝統が、ここにも明らかに投影されているとしても、しかし彼にとっては、「今日只今」、「世直しの神」は、じつはまさに自分たち自身なのである。各人が現に「世直しの神」であるものとして、この神は集団のシンボルである。言葉のもつ融通無礙なシンボル機能が、ここにも発揮されている。
 特定の神格などを通じて集団をシンボライズしようとする傾向は、ここ反乱世界でも独特の求心力が強く働いていることを教えている。この世界の集団はその成り立ちからすれば、私がいわば勝手につくりだすシンボルでしかないが、これら諸シンボルがおのおの意味しようとしている一つの共同観念は、逆に、唯一のシンボルの形成を促すのである。私たちの共同性の強い求心力が、いわばシンボルのシンボルともいうべき一つの象徴をつくりだすのだ。すでにみたカリスマの人格や世直しの神がこれであり、一般的にいえば反乱世界はたった一つの言葉に象徴されてよい。
 実際、「困民党」といい「太平天国」といい、一つの言葉が私たちの反乱世界を象徴した。しかし、この一つの言葉は、私たち各人のつくる雑多なシンボルを征伐してできた、シンボルの王様であるとはかぎらない。この言葉のもとに、ヒエラルキーも秩序もなく、各人の言葉が混線するということが依然として起っている。それゆえ、私の最初の集団内部における相互性の構造は、歴史の過去となったのではない。むしろ、この集団が反乱世界へと逸脱されたことが、まさに一つの「世界シンボル」の析出に対応する出来事だったのだ。私たち各人の心的な逸脱行為が、ここから外化された一つのシンボルを介して、逆に、世界としての求心性を保証しているのである。
 これが通常見慣れた集団であれば、集団の求心機構はなによりも集団に内面化される。シンボルも、このもとにおける心的・制度的ヒエラルキーの形成として、集団に内在化される。だが反乱世界では、私は私たちの相互性がもつ矛盾――アジテーター・大衆・集団の相互媒介運動――を、集団の制度として内面化することができない。これこそ、反乱世界が組織を形成しえない理由であり、集団がむしろ逆方向へ逸脱してしまったことを、「世界シンボル」の求心力が補償しているのである。

二 反乱世界のシンボルは共同規範として私をこの世界に統合する

 シンボルを介した反乱世界の統一は、私の集団の内面的な統一性からみれば、たしかにその外在化(逸脱)である。だが、そうはいっても、反乱世界の統一は外部から押しつけられた統一ではない。私と私の集団こそが反乱世界をつくりだしたのだからだ。それゆえにまた、反乱世界を統合するシンボルは、独特の性格をもって世界内の各人・各集団に帰ってくる。
 たとえば、集団のスローガンの機能を考えてみよう。たしかに当初、この集団が敵対的諸集団のただ中で自己を形成してきたときには、集団のスローガンや合言葉は、シンボル的なものというより、具体的に行動の目標等を名ざし伝達するものであった。「岸内閣打倒!」。だが、この言葉が、立ち上った民衆個々人の相互性を媒介し、「万人が一つの口のごとく」これを唱和するとき(「キシオタオセ!」)、すでにそのシンボル的機能は明瞭で強固のものとなっている。蜂起した各人がこの言葉を産出したという過程は、いまや逆転され、言葉は、「岸打倒」をめざす者という規定性(様式化)をもって、こんどは各人に帰ってくる。この言葉によって、集団の各人は同等者として相互に自己を確認する。
 こうしてついには、言葉は伝達機能を失うようにさえなるのである。シュプレヒコールの前と後とで、もはや新しい知識はなにも加わらない。ただ人びとはこの一斉唱和によって、自分たちの共同性を再確認するにすぎない。私は、かえってスローガンによって、反乱世界の一員たることを感じとる。
 スローガンの排他性ということも、こうしたシンボルの機能から起ってくる。反乱集団が自己を独善的で排他的な世界にまで形象することは、まさに集団のスローガンの絶対性として主張される。しばしばわずかな語句の相異が、私の集団を他の集団から「絶対的」に区別するのだ。
 もとよりこうした対立は、スローガンの語句がもつ「意味」の相異などから了解しうるものではない。いまや私の集団は、外にむけたその唯一絶対のスローガンによってこそ、逆にその内面の統一を強化しているのである。
このようにして、反乱世界はそのシンボルの排他的「暴力」を媒介として逆に強固な共同規範性を私たちの共同性にもたらすようになる。集団が一つの世界へと絶対化されていく観念の膨張過程は、逆説的にも、私たち個々人の意識と行動様式を、逆に一挙的に、一つの集団意志に収斂させ規格化する可能性が生れるのである。
 いまの段階では、反乱世界のこのようなシンボル機能は、なおもっぱら心的な過程と考えねばならない。一見するところ、この世界の諸象徴は――さきに言葉を例にして述べたように――むしろアナーキーな混線状態を呈するものであり、また民衆個々人の行動形態とて規格化されたものとはほど遠い。
 だがもしも、この世界におけるシンボルの逆作用の観点でみるならば、反乱世界は、けっして混乱や気ままの支配する世界ではなく、むしろ過剰な内的論理をもつものだといわねばならない。ただその内的論理は、制度的・機構的に整形されたものとして統一的なのではない。もっぱら心的なものの統一性の著しさなのである。
 制度的には著しく整った現代の集団のほうが、これに比べるならば逆に、成員のはるかに心的なアナーキー(アノミー)に支配されている事実は、まったくのところ対照的である。民衆の管理組織の非感性的な機構化がすすめばすすむほど、逆に組織のなかの民衆の心性は感性化し、自己確認を失ってさまよい歩いていく。公的なものの著しさは、まったく裏はらに、反社会的な私の感性と併存している。こうした「精神のプロレタリアート」の存在と、彼らの「自然の反乱」の気は、制度的なものの整合性のうちに充ちている。
 反乱世界では、これと逆のことが起っている。反乱の外部からの観察者は、民衆の個々の言葉や行動の乱雑さに目をうばわれて、あたかも民衆が心的にも自己を失い、混乱をきわめているかに錯覚する。そこから、大衆の「勝手気まま」にたいする非難をひきだし、あるいは見当はずれに「解放」や「自由」を讃嘆したりもするのである。反乱世界の記述が、しばしば、悪意ある描写か、たんなる無原則的比喩の濫費でしかないのもこのためである。
 それゆえに、いまの段階では、反乱世界の共同規範性を、なにか「指令部」からの命令や敵対的集団と闘争するための「必要」のごとくに、私にたいして外からくるものと考えることはできない。ここにも、反乱における、私たちの過度な内面への逸脱ということが起っている。共同規範性はあくまで私たちの共同の所産であり、一つの逆転であっても、なんら私にとって外からとどいたものではない。
 別のいい方をすれば、共同規範性はなんらかの強制でも、また社会的な習慣なのでもない。それは私の共同性創出の熱度が自らつくり、自ら引き受けたものにほかならない。自由の創出も自由の規制も、ともに私の行為の自由に属する。
 さてこのようにして、いま私の集団は反乱世界としての集団である。けれども、私の集団がその自己形成史の冒頭で、排他的な世界を経験したことは、かえって私の集団に政治的な死をもたらす危険をも意味している。私は、自らの集団の団結が、あたかもこの集団自体の力によったかのように錯覚するのである。こうなれば、これからまさに他の集団や敵との相関のなかで、政治の経験史を歩まねばならない集団は、すでにこの段階で政治そのものから脱落する。
 たとえば、神話的集団が内部に儀礼の体系を発展させ、これが成員のあらゆる活動の規範典礼となるような場合を、ここに想起してみよう。かつてはこの集団も敵対的闘争のなかから形成されたものだったが、闘いの記憶はすでに儀式と化し、したがって、集団は儀式あっての集団である。集団の排他性はその象徴体系の排他性にほかならない。
 実際、反乱集団が政治の経験史へと転生するのではなく、たんに生き残るとき、この集団はしばしば儀礼的な制度化を内部に発達させ、この儀礼のゆえに集団を正当化するようになる。集団は事実上すでに、それ自体による一個の仮構となる。政治集団が宗教的団体やセクトに転質するのである。
 私は、反乱集団のこのような独善的傾向の一例として、秘密結社のことをひきあいにだすこともできる。ただもちろん、反乱集団の典型が秘密結社だというのではない。また歴史上の秘密結社がすべて、敗北した反乱の記憶にすぎないというのでもない。秘密結社ほど、現に生きている私の反乱集団と外見を異にするものもないであろう。だが、秘密結社がその内に発達させた極端な共同規範性は、制度的強制によってではなく、もっぱら心的にうちたてられたものであり、この点で反乱集団の心的構造をここに尖鋭に読みとることができるのである。
 たとえば、反乱集団の場合と同様、私は秘密結社に参加するのではない。意識的にしろ無意識的にしろ、自分の社会的再生を賭けて、私は自分の全体性をこの共同性に投与する。もともとは秘密結社も一つの具体的な目的を実現するための結社であったが、まさにこの過程で反乱世界への逸脱を経験することによって、人間の全体性の参与それ自体に価値をおくようにもなるのである。もしかしたら、私に蓄積された反乱の共同性の記憶が、秘密結社のような人格の全面的な拘束へと、いまも私を促すのかもしれない。
 秘密結社が私の自由を全的に束縛する著しさも、外部の観察者が見誤るように、けっして制度的な規範からくるのではない。既成の世界の破壊的超脱という、私の自由な心性の飛躍こそ、逆に恣意の全的な制約の形式をつくりあげるのである。秘密結社の儀式による私の形式的な束縛は、アナーキーに境を接した自由の解放ということと、なんら矛盾するものではない。ジンメルもいうように、「秘密結社の広範囲にわたる存在は、概して公共生活の不自由さの証明であり、警察の規制策と弾圧の証明である。それゆえ逆に、秘密結社内部から発する儀式の規律は、原理としては、自由と解放の証明であり、人間性がこの自由と平衡するために、反対の影響力としてさきの束縛を生みだしたのだということができる。」*
*ジンメル「秘密および秘密結社」(『社会学』第五章、引用は私による試訳「秘密結社の社会学」『情況』一九七一年九月号)、また私の『結社と技術』を参照
 秘密結社の整備された象徴体系にくらべれば、もとより私の反乱集団のそれは、あいまいで混乱したものにすぎない。けれども、反乱世界における私の集団が、同様なシンボル機構を介して現に集団たりえていることは明白である。むしろ、この段階で、私の集団内面の形式が呈する乱雑さを嫌い、これにたいする不信を直接に組織しようとする集団が、端的にセクトの形をとることこそ、逆に、私の集団内面の本性を代弁している。いわゆる党的な集団も、発生史的にいえばまさに秘密結社の一つだったのだ。*
*「党」が私の反乱の経験以降に生き残るとき、反乱の記憶は、この党という集団に特有の形を与えることになる。私ははるかのちに、この形の一つを「固有の党」として記述するが、日常的に見慣れたもう一つ別の、形の党が、まさにいわゆる「セクト」である。
 このようにみてくれば、いまや反乱集団の共同性は、セクトや秘密結社と境を接して、あるぎりぎりの点にまでつきつめられているといわねばならない。これ以上、この共同性自体の経験の深化を求めることは、集団の空中分解をもたらさぬとすれば、私の集団をファナチックな自己強制の機構に転化させてしまうであろう。
 もとより人は、政治の場面でも、どのようにも過度に生きようとすることはできる。だが、もしも私が集団とともに政治の長い経験史を歩んでいこうとするなら、私はもはや、反乱世界の自縛の構造を抜け出るときだ。そして、私の集団の外に、確かな目をそそがねばならない――私の「敵」が、いまや私にこのことを強制する。


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