政治の現象学 引用文献について

Common Ground  
Watch your thoughts ; they become words.........  

| HOME | 政治の現象学 | 引用文献について |  

引用文献について

innyou.pdf

引用文献について


 本書では、文献の引用はすべて政治的経験――とりわけ革命――の現場からの証言という意味をもっている。このため引用は政治の「当事者」の発言に限られている。ただしここで「当事者」とは「政治家」という狭い意味ではなく、小説などに登場する「架空の当事者」をもまた含んでいる。
 けれども、その発言が引用されたこれら「当事者」の身元――つまり、どのような状況で誰が発言しているのか――は、本文中では原則として、故意に、ふせてある。節(あるいは章)全体が特定の政治的出来事を「例解」として扱う場合――第三章第四節など――はこの限りではないが、しかしこの場合でも、発言の主人公と歴史的状況に特別の重要性は何もおかれていない。
 引用文献のこのような扱い方は、本書の記述の方法から要求されている。つまり、本書は政治の経験史の(形式的)構成を意図したものであり、実際の政治や革命の歴史記述や評価ではない。「政治」あるいは「政治のなかの私」を主人公とした自己形成史――遍歴史――として本書が読まれることを私は予想しているのである。それゆえ、この形成史の一こま一こまで顔をだす現実の政治史からの発言も、本来まったくの架空のフィクションであってかまわないのである。引用された発言の身元が本書の記述からわざとはずされたのはこのためである。
 もとよりそうはいっても、主として実際の政治的発言を資料として使っている以上、その身元を完全に消し去ることは不可能であり、事実、引用された証言からすけてみえるその身元の具体性に、私の記述が助けられている――あるいは妨げられている――ことを、私は否定するものではない。けれどもこれは本書の方法的意図にとって本意ではないのであり、身元の明らかな発言――たとえばレーニンの言葉――でも、それは本書の一貫した主人公である匿名の「政治のなかの私」の発言として読まれることを、私は期待している。
 だからそのために、政治の経験史の各段階で、それにふさわしい歴史的状況での発言を引用するように、文献を選んだつもりである。つまり、本書の記述の各段階に都合のいい引用を、たんに字面の一致からところかまわず選んだのではなく、一つの引用はその身元の歴史的状況を評価したうえで、この状況に矛盾しない引用の仕方をするようにした。
 次に、本書に引用された証言の「身元」を記載しておこう。この身元を具体的に調べ、それが引用された本書の場所と照合していただければ、逆に本書の記述が各証言の歴史的性格を評価する仕方をも了解してもらえるであろう。
 以下、冒頭の番号は章ごとに本文中の引用文献末尾の番号に対応する。原著者による傍点その他の強調符は一切省略した。傍点はすべて引用者のものである。また引用するさいに中途を省略した場合があるが、いちいちことわることはしていない。ただし、別々の主人公の発言や異なる状況での発言をつなぎあわせる等、原資料の改竄はしていない。

第一章
(1)アンドレ・マルロー『希望』(一九三七年)、岩崎力訳、新潮文庫(上)五七ページ。この小説は一九三七年以降のスペイン革命を題材とするもの。
(2)秩父暴動事件概略『秩父事件資料』(埼玉新聞社)第二巻、五九一ページ。秩父事件は明治十七年十一月である。なおこの事件については本書第五章を参照。
(3)『叛逆のバリケード・日大闘争の記録』(三一書房、一九六九年)、二二五ページ。
(4)秩父暴動雑録『秩父事件資料』第二巻、五五八ページ。
(5)エンツェンスベルガー『スペインの短い夏』(野村修訳、晶文社)三七九ページ。スペイン革命のアナキスト指導者ドウルティの短い闘争の生涯を、伝記資料をつなぎ合せて「ロマン」に編成しようとしたものである。
(6)トロツキー『ロシア革命史』(山西英一訳、角川文庫)(一)一七〇―一ページ。一九一七年のロシア二月革命に決起した首都の労働者にたいして軍隊が同調して反乱する瞬間の記述である。ロマノフ王朝とは二月革命によって打倒されたツァーの権力をさす。
(7)トロツキー「一九〇五年」(原睴之訳、現代思潮社 第二期トロツキー選集2)一一八八―一二三ページ。
(8)カール・リープクネヒトの演説(一九一八年)(ドキュメント現代史2『ドイツ革命』、野村修編、平凡社)六二ページ。これは労働者・兵士レーテ全国大会での演説の一こまである。
(9)秩父暴動事件概略『秩父事件資料』第二巻、五九一ページ。
(10)レーニン「わが国におけるプロレタリアートの任務」(一九一七年四月)。第四版全集(大月書店版)第似二四巻、四四―五〇ページ。

第二章
(1)卜ロッキー『わが生涯』(栗田勇他訳、現代思潮社)(中)二三九―二四一ページ。引用場面はロシア十月革命の日々の記録である。
(2)ヒトラーの演説。ロジェ・カイヨア『聖なるものの社会学』(内藤莞爾訳、弘文堂)七七および八六ページより。
(3)「信達騒動実記」(日本思想大系58「民衆運動の思想」岩波書店)四八七ページより。この一揆は慶応二年(一八六六年)六月に東北の信夫・伊達両郡に起ったもの。引用は代官の取調べに際して百姓春吉が述べたセリフである。
(4)『叛逆のバリケード』(前出)。
(5)ジョルジュ・ソレル『暴力論』(木下半治訳、岩波文庫)(上)六二―三ページ。
(6)卜ロッキー『ロシア革命史』(一)二六三ページ。
(7)「鴨の騒立」(3)に同じ、二五〇ページ。天保七年の参河・加茂郡の一揆で百姓たちが代官にむかっていう言葉である。なおこの一揆については本書第三章第四節、参照。
(8)エルンスト・ブロッホ「革命神学者トマス・ミュンツァー」(今泉彩・樋口大介訳、『情況』一九七二年十一月号)より引用。トマス・ミュンツァーの説教の一節である。
(9)トロツキー『ロシア革命史』(一)二一六ページ。
(10)ブランキ「ブールジュの裁判陳述」(一八四八年)。モリニエ『プランキ――コミューンの炬火』(栗田勇訳、現代思潮社)三二ページより。

第三章
(1)ブランキ「社会批判」。『革命論集』(加藤晴康訳、現代思潮社)(上)一四三ページ。
(2)エンツェンスベルガー『スペインの短い夏』(前出)三二八ページ。
(3)ジョン・リード『世界をゆるがした十日間』(原光雄訳、岩波文庫)(上)二五七ページより。
(4)秩父事件での農民幹部(大野苗吉)の言葉として記録されている。井上幸治『秩父事件』(一九六八年、中公新書)八三ページより。
(5)エンツェンスベルガー(2)に同じ、二二八ページ。
(6)岡本雅美・村尾行一編『大学ゲリラの唄 落書東大闘争』(一九七〇年、三省堂新書)一一〇ページ。
(7)『叛逆のハリケード』(前出)六六ページ。日大全共闘の六八年六月十一日付のビラ。
(8)ハインリッヒ・ハイネの手紙(一八三〇年)。ジェフロワ『幽閉者』(野沢協・加藤節子訳、現代思想社)四八ページより。
(9)ブランキ「祖国は危機に瀕す」(一八七〇年)。『革命論集』(下)五三ページ。プロシヤ軍に包囲されたパリで発刊されたブランキの新聞――その創刊号(九月七日)巻頭の声明。
(10)ブランキ「四季協会の入会式」(一八三九年)。同右(上)五二ページ。ブランキの秘密結社「四季協会」の入会式でとりおこなわれる新入者の誓言。
(11)フランス革命の公安委員会会報。カール・シュミット『政治的なものの概念』(田中浩・原田武雄訳、未来社)五一ページより。
(12)マルクス「パリからの通信」(一八四八年六月)。『マルクス=エンゲルス選集』第三巻(上)二〇八ページ。一八四八年、パリのいわゆる「六月事件」を報じたもので、マルクスはここでなによりも「第三身分の分裂」――つまり、ブルジョアジーとプロレタリアートの分裂――という事実を強調している。
(13)トロツキー『わが生涯』(前出)(中)二四〇ページ。
(14)『秩父事件資料』第一巻。困民党総理田代栄助の供述書。
(15)レーニン「遠方からの手紙」(一九一七年三月)。全集第二三巻三五六ページ。ここでいう「まったく別の組織」とはロシア革命でのソヴェトをさす。
(16)スターリン『レーニン主義の基礎』(一九二四年)。真理社版八九ページ。

第四章
(1)卜ロッキー『ロシア革命史』(二)二六三ページ。
(2)茨木のり子「あるとしの六月に」。詩集『鎮魂歌』(思潮社、一九六五年)。
(3)ブランキ「『人民に告ぐ』に対する非難について」(一八五一年)。『革命論集』(前出)(上)八三―四ページ。
(4)ベラ・クンの発言(一九一九年八月一日)。『ルカーチ初期著作集』(池田浩士訳編、合同出版)三四一ページより。ベラ・クンはハンガリー・ソヴェト共和国の人民委員だった。
(5)レーニン「民主主義革命における社会民主党の二つの戦術」(一九〇五年)。全集第九巻、六ページ。
(6)トロツキー『ロシア革命史』(二)二八一ページ。
(7)同右(三)七ページ。
(8)レーニン「われわれの任務と労働者代表ソヴェト」(一九〇五年)全集第一〇巻、七。ヘージ。
(9)ローザ・ルクセンブルク「綱領について」(一九一九年)『選集』(野村修訳、現代思潮社)第四巻、一五八―九ページ。
(10)エンゲルス『フランスにおける階級闘争』序文(一八九八年)。(中原稔生訳、国民文庫版)七ページ。
(11)総評のビラ、一九六〇年安保闘争の六・四ストに際して撒かれたもの。日高六郎編『’九六〇年五月十九日』(岩波新書)一三一ページより。
(12)共産主義者同盟「全世界を獲得するために」(一九五九年)『共産主義』創刊号。
(13)トロツキー『ロシア革命史』(五)一五四ページ。
(14)ルカーチ「戦術と倫理」(一九一九年)『初期著作集』(前出)一九ページ。
(15)ジョン・リード『世界をゆるがした十日間』(前出)四九―五〇ページ。
(16)レーニン「一歩前進、二歩後退」(一九〇四年)全集第七巻、二六四ページ。
(17)レーニン「ロシア革命的民主主義在外連盟第二回大会」(一九〇三年)全集第七巻、七五ページ。
(18)ドイッチャー『武装せる予言者・トロツキー』(田中西二郎他訳、新潮社)三三三ページ。

第六章
(1)ジョン・リード『世界をゆるがした十日間』(前出)二五七ページより。
(2)クレンペラー『第三帝国の言語』(羽田洋他訳、法政大学出版局)二一ページ。
(3)五木寛之「日本近代と天皇制」『情況』一九七三年十二月号。
(4)トロツキー「一九〇五年」(前出)二六三ページ。
(5)レーニン「革命の教訓」(一九一七年)全集第二五巻、二四六ページ。
(6)マルクス「哲学の貧困」『マルクス=エンゲルス選集』第一巻、四四九ページ。
(7)マルクス「フランスの内乱」同『選集』第一一巻、三三二ページ。
(8)トロツキー『ロシア革命史』(前出)(二)二二五八ページ。
(9)ライスナー「スヴィヤジスク」(野村修訳『現代文学の発見』1所収)。
(10)バクーニン。マンハイム『イデオロギーとユートピア』(鈴木一郎訳、末来社)二二六ページより。
(11)マルロー『希望』(前出)(上)二八三―四ページ。
(12)レーニン「崩壊とそれにたいするプロレタリアの闘争」(一九一七年)全集第二五巻、三四ページ。
(13)全ロシァソヴェト中央執行委員会機関紙「イズヴェスチャ」(一九一七年十月十日)。ジョン・リード『世界をゆるがした十日間』(上)二七六ページより。
(14)マルロー『希望』(上)二八五ページ。
(15)ジュール・ヴァレス『パリ・コミューン』(谷長茂訳、中央公論社)四六二ページ。
(16)ルィーズ・ミシェル『パリ・コミューン』(天羽均・西川長夫訳、人文書院)(上)一九六―七ページ。
(17)ブランキ「市民ブランキの回答」(一八四八年)ジェフロワ『幽閉者』(前出)一三七ページより。
(18)アウグスティン・ズシー、アラルド・プラッツ「アラゴンの農業集産体」(一九三七年)ドキュメント現代史7『スペイン革命』(山内明編、平凡社)一九七ページ。
(19)カタロニア民兵中央委員会の宣言(一九三六年)註(18)に同じ、一六五―六ページより。
(20)レーニン「二重権力について」(一九一七年)全集第二四巻、二一―二ページ。
(21)レーニン「ロシア社会民主労働党ペトログラード全市協議会」(一九一七年)全集第二四巻、一四一ペヘージ。
(22)リサガレー『パリ・コミューン』(喜安朗・長部重康訳、現代思潮社)一七七、一八一、二六一ページより。
(23)レーニン「わが国の革命におけるプロレタリアートの任務」(一九一七年)全集第二四巻、四四ページ。

第七章
(1)スハノフ「革命の日記」。トロツキー『ロシア革命史』(二)一〇五―六ページ。
(2)レーニン「わが国の革命におけるプロレタリアートの任務」(一九一七年四月)。全集第二四巻、四五ページ。この文評はいわゆる「四月テーゼ」をくわしく敷衍したものとして重要である。
(3)レーニン「現在の革命におけるプロレタリアートの任務について」――いわゆる「四月テーゼ」。全集第二四巻、四ページ。
(4)レーニン「共産主義内の『左翼主義』小児病」(一九二〇年)全集三一巻、八四ページ。
(5)北一輝の発言。二・二六事件の決起将校磯部浅一の「行動記」に記録されている。河野司編『二・二六事件、獄中手記・遺書』(河出書房新社)二四九ページ。
(6)レーニン「ロシア社会民主労働党ペトログラード全市協議会」(四月)全集第二四巻、一四〇ページ。
(7)レーニン「戦術にかんする手紙」(四月)。全集第二四巻、二八ページ。
(8)トロツキー『ロシア革命史』(一)二二〇―二二一ページ。文中のスハノフの言葉は「革命の日記」より。
(9)レーニン 労兵ソヴェト第一回全ロシア大会での演説(六月)。全集第二五巻、三ページ。
(10)レーニン註(6)に同じ、全集第二四巻、三九ページ。
(11)レーニン「ロシア社会民主労働党第七回(四月)全国協議会」全集第二四巻、二三一ページ。この会議をもって「四月テーゼ」の戦術は最終的にレーニンの党内に定着する。
(12)『エヂンストヴォ』(プレハーノフ派の機関紙)第五号。レーニン全集第二四巻、七ページより。これはレーニン帰国直後のもので四月テーゼの文中に引用されている。
(13)カリーニンのペトログラード全市協議会(四月)での演説。トロツキー『ロシア革命史』(二)四三ページより
(14)レーニン註(10)に同じ、二三一ページ。
(15)トカチョフ「ロシアにおける革命的宣伝の諸任務」(一八七四年)和田春樹「レーニン―未完の革命の象徴」(『歴史と人物』一九七四年一月号)より。なお、このパンフレットは松田道雄編『ロシア革命』(ドキュメント現代史1、平凡社)に抄訳されている。
(16)レーニン「何をなすべきか」(一九〇二年)全集第五巻、四九四ページ。
(17)レーニン 同右 四八六ページ。
(18)レーニン 同右 四九九ページ。
(19)レーニン ロシア社会民主労働党第二回大会(一九〇三年)での演説。全集第六巻、五一七ページ。
(20)レーニン「一歩前進、二歩後退」(一九〇四年)全集第七巻、二八三ページ。
(21)トロツキー『ロシア革命史』(二)九五―六頁。
(22)トロツキー 同右 一一二頁。
(23)レーニン「ボリシェヴィキ党員への手紙」(一七年十月)。全集第二六巻、二二一ページ。カーメネフとジノヴィエフが党外に武装蜂起反対論を公表したのにたいして書かれたもの。
(24)トロツキー『ロシア革命史』(五)一九八ページ。この会議に私室を――それと知らずに――提供したのはスハノフであった。
(25)レーニン「何をなすべきか」全集第五巻、五一八ページ。
(26)黒田寛一『組織論序説』(こぶし書房)。一三六ページ。反スターリン主義を標傍する革命的共産主義者同盟(革マル派)の組織思想である。
(27)埴谷雄高『幻視のなかの政治』(未来社、一九六三年)八六ページ。
(28)毛沢東「抗日遊撃戦争の戦略問題」(一九三八年)『毛沢東選集』(三一書房版)第三巻、九八九ページ。
(29)『ノーヴォエ・ヴレーミャ』(一九一七年六四六四号)これは「反動的貴族および官僚社会の」日刊新聞である。レーニン全集第二五巻、五一ページより。
(30)一地方工場事務員の報告。これは一七年六月頃のことである。トロツキー『ロシア革命史』(二)二二六―九ページより。
(31)ムッソリーニの演説 カール・マンハイム『イデオロギーとユートピア』(未来社)二九九ページより。
(32)へルマン・ラウシュニング『永遠なるヒトラー』(船戸満之訳、天声出版)二六一ページ。これはヒトラーとの内輪の会話を記録したものである。ヒトラーの周知の「大衆操作論」も、実際には独得の集団(解体)論を基礎としていたことに注意すべきである。
(33)スハノフ「革命の日記」トロツキー『ロシア革命史』(四)一一一ページ。
(34)マルクス『フランスにおける階級闘争』(一八五〇年)(中原稔生訳、国民文庫版)一四三ページ。
(35)エンゲルス 同右、序文。同右二五六ページ。
(36)ローザ・ルクセンブルク「ロシア社会民主党の組織問題」(一九〇四年)『選集』(片岡啓治訳、現代思潮社版)第一巻、二五二―三ページ。
(37)レーニン「党の再組織について」(一九〇五年)全集第十巻、一八ページ。
(38)レーニン「われわれの任務と労働者代表ソヴェト」(一九〇五年)全集第十巻、三ページ。
(39)レーニン「ボリシェヴィキは権力を掌握しなければならない」全集第二六巻、三ページ。
(40)レーニン「政論家の日記から」(九月)全集第二五巻、三一七ページ。
(41)レーニン (40)に同じ。三一六ページ。

終章
(1)マキャベリ『君主論』第九節(永井三明訳、中央公論社『世界の名著』16)
(2)ナチ党の選挙用宣伝文(一九三二年)ワルター・ホーファー『ナチス・ドキュメント』(救仁郷繁訳、論争社)三四―三五ページ。
(3)小林秀雄「政治と文学」(一九五一年)。『現代文学の発見』4、四四七ページ。
(4)小沼正「上申書」(一九三二年)。『現代史資料』5・国家主義運動(一)(みすず書房)
(5)『叛逆のバリケード・日大闘争の記録』二五八ページ。
(6)朝日平吾「死の叫び声」(一九二一年)橋川文三編『現代日本思想大系』31(筑摩書房)所収、六六ページ。
(7)倉橋由美子「パルタイ」(一九六〇年)。『現代文学の発見』4所収、二六九ページ。
(8)エルンスト・トラー「ドイツの青春」、船戸満之訳『現代文学の発見』1所収、二四一ページ。著者はドイツ革命(一九一九年)ミュンヘン・レーテの指導者。引用部分は、この革命に敗れて捕えられた獄中での述懐。
(9)マルロー『希望』(下)一七九ページ。
(10)同右(上)二八五ページ。
(11)三島由紀夫「北一輝論」新潮社版全集第三一巻、一〇六ページ。


inserted by FC2 system