政治の現象学 終章 回帰ー政治と倫理

Common Ground  
Watch your thoughts ; they become words.........  

| HOME | 政治の現象学 | 終章 回帰ー政治と倫理 |  

終章 回帰ー政治と倫理
 

 end.pdf 
 
 
終章 回帰――政治と倫理
 
 
第一節 倫理的なものの反乱
 
 
一 政治の技術化のはてかえって倫理的なものの反乱が経験される
 
結論として、述べておきたいことはただ一つ、君主は民衆を味方につけなければならないことである。(1)
 
 このように、政治はいつもその「客体」――「民衆」――との関係でしか自らを認証することができない。これは、政治がその正当性の根拠を、自らのうちにはもたないことを暴露するとともに、だからこそまた、自己の根拠づけを求めて、政治が「他者」へと促されるものであることを告げている。
 前章までの私の政治的経験史では、こうした意味での典型的な政治形態は、ただ党であった。ただ党だけが、自らの根拠を本来的に剥奪された場所で経験されたのである。そして、あらためてくりかえすまでもなく、党の戦術こそは、党が他者=大衆へと促されていく根本的な媒介形態であり、また党は、他者へと自己を否定(実現)することによってしか自分を認証しえないものであることを、この戦術が露呈させたのだった。
 しかし、ひとはここであらためて奇異に思うかもしれない。なぜなら、政治が自己正当化の根拠を求めて自分の外へ出ていく努力は、通常はなによりも倫理的な衣裳のもとに経験されているからだ。たとえば党にしても、「共産主義的人間の共同体」であり、「将来社会の萌芽形態」だと自己主張される。これが、「無責任な大衆」に対比した、一種マゾヒスティクな自己確認につきるのでないとしたら、端的に倫理的な自己正当化となることは明らかである。これに反し、党の戦術的実践には、本来倫理的な性格は何もなかった。倫理といえば、まさに自らの「革命技術主義的かたより」に耐える、一種逆説的な倫理しかそこにはなかったのだ。
それでは、政治における倫理的なものとは、通常なにか。それは、政治権力において次のようにして経験されると考えてよい。
政治は、古来さまざまの独裁制でみられたように、あくまで、「権力の論理」のあくなき追求を本性とするものだとされる。けれども、この欲求をなんらか倫理的に合理化することなしには、政治はいわゆる裸の「権力欲」をさらすほかはなく、これは結局、権力の無際限の追求自体を事実上挫折させてしまうであろう。政治は、裸の論理としては力の恣意の解放の欲求だが、かえってこの欲求が、権力の恣意を制限せずにはすまないのである。これは、権力追求の論理が同時に政治の論理であるかぎり、こうむらねばならない矛盾である。もちろんここから、たんに恣意にすぎない権力意志を「普遍的意志」としていいくるめる、周知の政治的欺瞞もまた発生する。けれども、政治の私性とその倫理的合理化との矛盾は、このような実際上の政治の知恵(政治技術)を超えて、深い根をもっている。政治の倫理化は政治のあり方を引き裂かずにはいない、本質的な衝迫力である。
 それゆえ、政治的形成には、たとえ制度化された政治であっても、実際にはつねに、倫理的なものが混淆している。民主制や大衆政党のような政治制度も、たんに技術的に合理的な存在につきるのではなく、同時に、倫理的に合理化された権力形態だったことはいうまでもない。民主制は、たんに、かのイチジクの葉なのではない。
 世にいう「政治技術」も、本来、操作的合理主義から直接に生れたものではない。権力の恣意――人間の権力欲――が倫理的な自己合理化を不可欠の媒介としてこれを制度として形づけようとする、政治史の長い歩みのなかで、政治の技術も析出されてきた。そしてまさにこの結果、ひとは、政治が完全に「脱主観化」され、たんに生活に必要な技術と化することを願うようになる。「近代政治」のあり方とされるモデルを、ちょっとでも思いだしてみるとよい。ひとはこのようにして、人間の生の奥深い危険な情念などから、政治世界をあとくされなく離陸させようとする。「政治の技術」を、さらに「政治の技術化」にまで普遍化しようとする。
 しかしそれでは、「政治の技術化」は、その出生の秘密まで忘れさることができるであろうか。もしそうなら、政治がまさに技術の節度を逸脱して、人の生そのものにまで暴力的に介入するようなことが、どうしていまもなおくりかえされるのか。政治の技術の進歩が事実であるように、この逸脱もまた、人の政治史におけるいまも変らぬ著しい事実である。「政治の幅はつねに生活の幅より狭い。本来生活に支えられているところの政治が、しばしば、生活を支配しているとひとびとから錯覚される」(埴谷雄高『幻視のなかの政治』)――ということが起るのだ。
 人の生そのものへの政治の介入と支配は、しかし、政治の技術的合理化が、ときに失敗することを意味するのではけっしてない。なぜなら、技術の失敗ならば結果として露呈されるのは、かのイチジクの葉で隠されたもの――私的な権力の「裸の論理」――のはずである。だがじつはまったく逆に、技術の失効の時期に一斉に噴出するのは、裸の権力ではなく、かえってこれを合理化すべき政治の倫理的意志なのだ。この倫理の名においてこそ、政治は人の生までもわしづかみにするのである。たとえば、この時は、特殊な権力主義者や政治好きだけが党に入るのではない。党の仮構する「歴史の必然性」や「将来社会の萌芽形態」が、反乱大衆を党に吸引する。また、「祖国の危機」と称する時期に、私の倫理的領域――私の生と死――にまで侵攻してくる、圧倒的な政治の形、つまり国家のことを想起するとよい。
 こうしてふたたび倫理――政治における倫理的なもの――の反乱だ。政治は自らの私性の否定を着実な技術化の道ではなく、逆説的にも政治の「人間化」によって果たそうと錯誤するのである。
 
 
二 大衆の登場が倫理的なものを政治化し政治を倫理と混淆させる
 
ヒトラーこそ――数百万の国民にとって救いの言葉である。なぜなら、国民は今や絶望しており、ただヒトラーという名前にこそ、新しい生活と新しい創造への道を認めているからである。
ヒトラーこそ――ドイツ青年の激しい意志である。青年は、疲れた人々の中にあって、新しい情勢を求めて奮闘をつづけ、よりよい未来、ドイツの確信を棄てようとしない。それ故に、ヒトラーこそ、ドイツの未来を望む者すべての明るい灯台である。(2)
 
 ことわるまでもなく、これはナチス党の自己主張だが、前章で経験されたレーニンの党の発言と較べるとき、両者のニュアンスのちがいにひとはすぐ気づくであろう。もとより、これは「大衆政党」としてのナチスの発言であり、ボリシェヴィキもまた「大衆のなか」では、これに似たような宣伝をおこなっていたのだと考えてもよい。だが、ここで「似たような」というのは、ただ、倫理的な主張の共通性ということなのである。
 ボリシェヴィキのことはさておき、ナチの政治発言の倫理的な性格に注意してみよう。「ヒトラー」という権威主義的個人に象徴された権力意志が、にもかかわらず、ここでは「ドイツの未来を望むものすべて」、「ドイツ青年の激しい意志」に仮託して自己を倫理化している。「ヒトラー」は、自らの私性を倫理的に否定することによって、かえって万人の私性をも政治的に獲(とら)えようとするのだ。くりかえすが、こうした政治の倫理化は、権力の迷彩をほどこした衣裳という以上に深いのであり、政治の技術化への道が阻まれるのは、いつもこの点においてである。
 なぜなら、この発言では、特定の個人の権力意志が、「数百万国民の救いの言葉」をたんに僭称しているのではない。「最大多数の最大幸福」を実現するという政治の主張ではない。「ヒトラー」は、国民にとって絶望の反転であり、「激しい意志」の象徴だ。だから、こういう発言でアジテートされた大衆の反乱が、ただちに政治の技術化の道に回収されるどころでないことは、まったく明らかである。
 あるいは次のようにいってもいい。かくまで激しい希望をかきたて、したがって、かくまで多大な希望を背負いこむ政治は、反乱の敗北とともに敗退したときは、まさに希望に匹敵する激甚な絶望を政治というものに刻印することになるのだ。たとえ反乱が革命の勝利に終ったとしても、政治は遅滞なく、希望を制度や技術に変えていかねばならぬ。政治のこの制度や技術が、一場の夢に浮かれでた民衆にたいして何であったか――私たちは現に、うんざりするほど、この結末を経験してきているのだ。
それゆえ、結果として、人びとがふたたび政治のあとくされない技術化を願ったとしても、それはもはや政治の改善の要求などではない。いまでははるかに政治そのものの拒否というトーンを帯びてくるのだ。本来生活の一領域にすぎないはずの政治が、ひとをまるごと獲えてしまう一時期ののちに、その厖大な人間的犠牲に苛だって、ひとはそもそも政治というものを、我身からひきはがし、払い落してしまいたいと願うのだ――
 
政治は、私達の衣食住の管理化に関する実務と技術との道に立還るべきだと思います。(3)
 
 これは、「私には政治というものは虫が好かない」という言明で始まる、一文学者の講演の最後の一節である。ひとは、政治的運営の合理化や技術化なら、その不断の改善と進歩とを期待することもできよう。この一節も、一見政治に節度を求めるものにみえながら――そしてこの点では古来まったくありふれた希望の表明なのだが、しかしじつのところ、一種パセティクな拒否の身ぶりで、政治を「実務と技術」の道へ追いやろうとする苛だちが、この平凡な言明をとらえている。
 いまでは、政治を実務化する要求は、政治運営の合理化にむけた、職業政治家の正当な努力とは別のもところでおこなわれているのであり、この政治家の努力につなげられるものでもない。なぜなら、「実務化」の道を踏みはずすところに、むしろ政治の著しさが経験されてきたのであれば、この政治に「衣食住の管理」の道に「立還る」べしと要請することは、およそ、政治というものの死滅を求めているに等しいことだからだ。「実務と技術との道に立還るべきだ」という希望は、だから一見するところとは逆に、政治の「実務化」(死滅)の挫折の著しさを表白しているものなのである。政治、とりわけ権力の死滅という命題にしても、政治の著しい自己倫理化のなかで、今日まさに政治的な問題として立てられるほかないのであれば、こうした悪循環のにがさは、ただ拒否の身ぶりが振りはらう以外にはないであろう――「私には政治というものは虫が好かない」というように、だ。
 しかしそれでは、政治が、私の生と死の領域にまで越境し、踏み込んでくるのは、たんに政治権力自体の意志によるものだろうか。いや、この越境の根拠となっている政治の倫理化は、デマゴギーや政治技術の見かけとは異なり、根本的にはけっして政治の論理に由来するものではない。政治の倫理化がたんに政治権力自体からくるものならば、それがどのようにむきだしの暴力に裏打ちされていようが、ひとは「私人の領域」を、かえって政治の外に防衛することはできる。かつてあらゆる専制のもとで、リベラリズムの伝統がそうであったようにだ。そこには、私的領域の抑圧はあっても、この領域を守ることに苛だちはなかったであろう。
 けれども、ほかならぬ近代のリベラリズムや個人主義の敗北の歴史こそ、今日の「大衆政治」のかくも著しい倫理的独裁の裏面史となってきた。してみれば、倫理的な政治の跋扈は、今日の個人――私の生――のあり方そのものに由来しているのではないか。実際いま大衆が激しく政治に獲えられるとき、政治の「実務」における改善の希望という動機は、ますます政治現象の背後にみえなくなっている。これに代ってなによりも新しい「モラル」――「新しい生活、新しい創造」――の希望を求めて、大衆は政治の磁場に殺到する。しかもこのモラルは、本来的に共同のモラルなのだ。新しいモラル創造への大衆の希望は、政治的な共同の幻想である。共同的であることとモラル的であることは、むしろ大衆の本来的な存在様式なのだ、といってもよいであろう。
 それゆえ、国家や党が、こうした大衆を与件とも客体ともする度合が深ければ深いほど、共同のモラルを求める大衆の衝迫を、政治がまともに受けることは当然のこととなる。だから、政治が権力の論理を倫理的に合理化しなければならないのも、本来権力の意志などにもとづくのではなく、かえって、政治の「客体」の、政治への「倫理的」な登場によって促されるのである。政治が自己倫理化の衝迫に醒めていることがいつも困難なのも、自らの倫理化(正当性の根拠づけ)の拠点が自己のうちにはなく、ただ大衆の政治への登場のうちにしかないからだ。政治の倫理化はまた倫理の政治化である。
 しかしそれにしてもなぜ、政治に登場する大衆は、政治の「実務」の改善ではなく、端的に倫理としての政治を呼ぶのか。求められた政治への参加をはるかに超えて、ひとが自己自身を政治の共同性へ投与するのはなぜか。あるいは、本来ならば個人の倫理的領域に属すべき、各人の政治への決意性自体が、なぜ政治的意味をもつようになるのだろう。いくつかの例をあげよう――
 
吾人が本日に生き更に明日に生きんとするところの大欲望、これ以外に革命の本体はない。生きる? どう生きるか? 人間は人間らしく生きることである。人間は人間として生きるほか道はない。人間が人間として生きるということは絶対の大道である。(4)
 
あるいはまた――
 
私にとってこの闘争は右も左もない、大悪を懲らしめる為の闘争である。政治的なもの、イデオロギー的なものを悉く超越した人間の根本理念、正義の為の闘争である。悪は断固絶つべしである。私が自分自身の誇りをもつと高らかに謳いあげんと欲する正義の前に立ちはだかるものは、悉く粉砕し撲滅しなければならない。(5)
 
 明らかに、ここでは、私が生きるというそのことが政治を呼び起している。あるいは、端的に政治的現象としての闘争や革命が、個の生の問題それ自身を獲えている。そして、個人の生と政治との、このような直接的呼応の関係を生みだしているものこそ、私的意志の不断の否定として仮構されたはずの、政治の倫理なのだ。
 いまあげた第一の発言は昭和十年代の一テロリストのものであり、第二は、最近の学園闘争での一学生の手記である。いずれも新しく生きることこそが、彼らの行動を動機づけ、彼らの意識のうちでは、行為は「政治的なものを悉く超越した」ものと意識されている。「大悪を懲らしめる為の闘争」として、これはまさに倫理的行為である。しかしもちろん、昭和の超国家主義の行動も一九六八年の学生の決起も、ともにそれぞれの時代の端的な政治的行為であり、政治的なものを形成したのである。政治的行為へのこうした倫理的決意性は、これまで伝統的マルクス主義者などによって、政治以前の個人的問題のごとくに考えられた(「主体性」論争など)。けれども、しかしじつは、政治現象の基底に厖大に生起する事実として、これは政治にとって与件であり、したがって政治的なものに属することなのだ。
 たしかに個人の政治への投企がもつこうした性格を、よくいわれるように、彼の属する社会階層のせいにすることはできよう。「生半可なインテリ」にすぎないとか、「組織労働者」に属していないからとかいうようにだ。けれども、この指摘が客観的な真実だとしても、それは、この者たちの形成する政治の客観性までも否定することはできない。彼の政治投企の構造は、くりかえすが、一人の「生半可なインテリ」の「個人的問題」ではないからだ。
 
 
三 失われた自己をもとめて私は政治へと促され政治を倫理化する
 
 それでは、政治形成の基底における、政治と倫理との公然たる、あるいは密通の関係をつくりだすのは、政治の与件としてのこの私がどのような性格のものだからか。ふたたび例をあげよう――
 
最後ニ予ノ盟友ニ遣ス、卿ラ予ガ平素ノ主義ヲ体シ語ラズ騒ガズ表ワサズ、黙々ノ裡ニタダ刺セ、タグ衝ケ、タグ切レ、タグ放テ、シカシテ同志ノ間往来ノ要ナク結束ノ要ナシ、タダ一名ヲ葬レ、コレスナワチ自己一名ノ手段卜方法トヲ尽セヨ、シカラバスナワチ革命ノ機運ハ熟シ随所ニ烽火揚リ同志ハタチドコロニ雲集セン。(6)
 
あるいは――
 
《革命》はわたしの外にあるのではない。もしも《革命》がそういうものだとすれば、外にあるものの《必然性》がどうやってわたしの自由、わたしの選択にかかわってくるというのか。《革命》は必然的だからパルタイにはいるのではなく、わたしは《革命》を選びたいからはいるのだ。そしてわたしは自分自身の自由を拘束することによって、いっそう自由になることを選ぶのだ。わたしの参加が《革命》を必然的なものとする。(7)
 
 ここでもまた一人の私が政治を――《革命》を――呼んでいる構図は著しい。そしてこのように革命を呼びよせる私は、一見するところでは、確固とした人格として、一種倣岸な構えをとっているようにみえよう。黙々とした「自己一名」の行為が革命の機運をつくり、同志たちをも雲集させるのだと、第一の例は宣言している。第二の証言もまたいう――「わたしの参加」こそが「革命を必然的なものとする」のだし、わたしがパルタイに入るのは、「わたしの外にある」必然性に従うからではなく、わたしがそれを選びとるのだ、と。国家であれ党であれ、政治に私が参加する、という構図は端的に逆倒されている。政治への参加を求められる際に、知識人たちが示してきた陰湿な孤疑は、ここでは払拭されているようにみえる。
 だが実のところ、こうした個人の政治への決意性には、近代の個人主義や主意主義の確実な根などはなにもないのである。「わたしの自由」について、第二の証言がいうところをみるとよい。伝統的な「個人の自由」の主張と、まさに逆の表白がここにはある。わたしは自分の拡散する自己を捨て、人為的にわたしをパルタイの共同性へと拘束しようとする。このような決意性こそが、わたしを政治へと促しているのであり、だから政治へと投与される私は、「私」としてはまさにもろく貧しい個であることが告白されている。かの「自由からの逃走」や、実存主義的な「脱自的投企」の、やや類型的な表現をここにみることは容易だが、しかしいずれにしても、「党と個人」との伝統的なベクトルが転倒された意味は、政治的に大きい。一九六〇年に発表された、この作品のいわば状況的な位置が、ここに集約されている。
 そして、革命を選ぼうとするこの「わたし」と、第一の証言――昭和のテロリズムの先駆となった一テロリスト――の「自己一名」との間には、わが国における国家と革命のほとんど全経験がはめこまれているのである。このテロリストは、「同志ノ結束」を拒否し、政治における個をほとんど極限的に「自己一名」に純化し、しかもなお、この極限からはるかに革命や同志の雲集を呼んでいる。自己を捨てる自己の決意性が、政治的形成を促すというこのような構造は、ことわるまでもなく、この期間、圧倒的な国家と党との形成を、ひとが自らのうちで無化しえなかった基底的根拠にほかならない。してみれば、政治が個人の「生き方」に密通する著しさは、市民社会的「人格」の崩壊過程における、個人の社会的存在様式に深く根ざしたものというべきであろう。見失ったこの私を私が探索する努力が、端的に政治的意味をもつ。
 それゆえ、逆に政治は、いまや、その与件・客体がもつこうした性格からの衝迫を、まさにまともに受けるなかでしか形成されえない――その政治の個々の形がどのようなものであろうとも、大衆の政治への登場が、個別の利益や「実務」の改善ではなく、政治的共同性への「脱自的投企」を心的な契機としておこなわれるのであれば、大衆の政治や革命の選択基準は、ますます「合理性」や「科学的必然性」を離れていくであろう。共同性への自己投与がそれ自体として価値を帯びてくる。ひとは失われた自己の発見と形成――それが、どのような形のものであれ――を政治に求める。「わたしは《革命》を選びたいから《パルタイ》にはいるのだ。」
 したがって、たとえば民主主義が、大衆政治の唯一合理的な解決形態だとは主張しえない。またやマルクス主義の革命が、唯一歴史の必然性をとなえることもできなくなる。わたしは「《革命》が必然的だからパルタイにはいるのではない」。あらゆる政治的共同体の「デマゴギー」が、多少とも大衆を吸引する機会に恵まれるのはこのときだ。政治に自己を投与する大衆「わたし」の心的契機からみるかぎり、いくつかの政治形態は、こうして互いに等価な位置を占めるようになる。
 実際、かつて、天皇の国家のために死んだ青年たちの心情は、歴史的必然の党に吸引された者たちの決意性と、そんなに離れたものであったかどうか。また今世紀に入って、革命は、ボリシェヴイズム・ナチズム・アナキズムを三つの頂点とするトリアーデのうちで、典型的に生起してきたのである。もちろん、それぞれの政治(思想)の形が異なるように、大衆の政治参加の形も、美わしく道義的であったり、権威主義的なものであったり、あるいは「庶民」の御都合主義まるだしのもの等々、事例ごとに区別をもちながらも、大衆を政治の共同幻想へ駆りたてる心的な契機は、ますます等価なものとなっていくのだ。くりかえすが、政治の基底からのこうした衝迫が、政治形成の実際に与える力は大きい。
 
註 以上にとりあげられた「私」やその政治の性格が、実際上は、近代市民社会崩壊期以降の歴史的・社会的状況を前提としていることはいうまでもない。市民社会の理想とした「個人」の全面的な敗退過程を経て、根底でもろい「個」として、人はいまや「大衆」なのである。しかしこうした歴史的事情については、私はここでも深入りすることはできない。ファシズム論や大衆社会諭等々、大衆や大衆政治の史的分析の仕事を参照せよ。それに、本書の記述は、こうした歴史的事情を事実上の前提としつつも、歴史は、終始大衆が自己の政治的形成史のうちで発見すべきものとしてきたのである。前章までの経験史が、反乱のうちへと清算された私が、この私とは「どのような人々であろうか?」と自問する道筋であったことを想起しよう。思えば、この自問は、たんに私の政治的階級的性格の探索ではなく、まさに「私自身とは誰か」という問いを根底にして、たてられたのだ。だからこそまた逆に、「私自身」を探索するこの私の政治参加=集団の形成そのものが、たんに個人の倫理的決意性の領域にではなく、端的に政治的な現象に属するものとなる。(第四章第三節、参照)
なお、超国家主義的テロリストの性格については、橋川文三「昭和国家主義の諸相」(『現代日本思想大系』第三一巻、解説)を、一九六〇年代の大衆と政治の性格については、私の『結社と技術』を、それぞれ参照のこと。
 
 
第二節 政治的なものの倫理
 
 
一 政治的経験の一面性に耐えるところに政治の固有な倫理がある
 
 さて以上のように、大衆の大衆による政治的形成という基底からして、政治は本来的に倫理と密通する。逆に、大衆の個的形成が政治と密通する。
 だがひるがえってみれば、大衆反乱を出発点とする本書での私の政治的経験史は、そもそもが私による共同観念の形成史を意味していた。だからそこでは、政治的なものの形成は、大衆が自分の共同的実践を意義づける行為として、同時に、本来的に倫理的なものであったのだ。最初の共同観念の爆発のなかで、私の闘争が、「つい昨日まで悪魔に支配され」ていた世界に訣別して「生きる」ことだと意味づけられた例を想起しよう。政治的経験は、終始、大衆の羽目をはずした倫理の放埒沙汰のうちで、自己を形成してきたのである。
 そして、このことを対照的に明示するものこそは、党という経験の場所であった。党が、革命の大衆的過程から自己を分離するのは、大衆の倫理的放埒からのストイックな自衛を意味している。もとよりこれは、党が反倫理的で私的な組織としてあるという意味ではない。党という政治が、本来その正当化の根拠を欠くものであるにもかかわらず、まさにそれゆえに、大衆に促されて自己を倫理的に正当化せざるをえない――このように矛盾した自己の本性に醒めている場所として党が指定されたのだ。倫理的自己正当化の誘惑が、政治技術的なマヌーバーを超えて深いことを知ると同時に、この倫理化を拒否することが、党に固有の政治的意識性――一種逆説的な党の倫理――である。私は、倫理的な大衆登場の衝迫力に政治はさらされるのだとくりかえしてきた。党とは、実際上はこの衝迫力にたいする政治の自己防衛の場所だが、しかし同時に、党は大衆にたいして、政治のケジメをつけるべきものなのである。
 それゆえ、こうした党の場所からふりかえってみるとき、大衆反乱以降の革命の道程が、政治的経験としてたどられた意味も見えてくる。つまり、大衆の政治的経験史といえども、それが政治的であるかぎり、本来的に倫理と密通しながらも、しかし決して倫理的な自己形成史ではありえなかったのだ。政治的経験の歩みが、政治における客観的なものの析出――制度化――の過程であったことを想起しよう。あるいは逆にいえば、本来倫理とケジメを欠いている反乱の集団形成を、ただもっぱら政治的に経験するものとして、政治の経験史がたどられたのである。だから、この経験史の背後には、最初からつねに、党の場所からの視線があったのだと、いまになっていうこともできよう。
 それゆえ、反乱する大衆からみれば、党はいうにおよばず、およそ政治的な形成そのものが、本来的な一面性を随所で露呈することになる。たしかに制度的なものの形成も、大衆の倫理的欲求の形づけとして、倫理と別のものでないことはいうまでもない。だが、政治力学や現実政治をとりあげるまでもなく大衆の政治的形成は、彼が新しく「生きる」こと――「新しい生活」を生産すること――に対比するとき、本来的に大衆の自己形成の一面であるにすぎないのだ。大衆の自己投与の心的な構造が著しいほど、政治的形成の一面性は強く感じられる。通常、党や国家権力が、この一面性の相貌で外から大衆の倫理的沸騰に介入してくるとはいえ、この一面性はたんに決して外からのものではない。党が自らの私性に耐えるその一面性も、「私の生」にたいする、私の政治的形成の一面性を、極限的に経験することにほかならない。前章のエピローグで、国家権力を掌握した党が、逆にそこから国家へとさしむけられねばならなかったのもこのためであった。
 「私の生」にたいする政治的共同性の「狭さ」は、政治に自己を投与した私のうちで、たえず微妙な「孤独」の影として意識される。
 
人間は同時に個人であり大衆であるのではないか。個人と大衆との間の戦いは社会の中でのみ演じられるのではなく、人間の内面ででも行われているのではないか。個人としては正しいと認めた道徳的理念に従って行動する。例え世界が没落しようとそれにつかえようと欲する。大衆としては社会的衝動にかりたてられ、例え道徳的理念を断念しなくてはならなくとも目標を達成しようとする。私はこの矛盾を行動を通じて体験しただけに、この矛盾はときがたいものであるようにみえる。(8)
 
 政治のうちで行動する私の、内面の分裂がここに告白されている。私はまるごとの我身を政治に投与したのだが、しかもなお、政治的な私=「大衆」には包摂しえない「個人」が目を醒まし、「個人と大衆との間の内面の戦い」を凝視している。政治的形成の一面性ということが、ここでは、行動禍中のこの私内部での私の二重性として経験されている。私一人の内面にも生起するこの「矛盾」は、「行動を通じて体験されただけに」、私には「ときがたい」ものに思えるのだ。私たちは、ここに「アジテーター(政治的私)の形成」における、私の二重性の現象(第一章)を、はるかに想起しなければならない。
 もちろんこの証言には、「社会的衝動にかりたてられ」て行動する大衆の群れのなかで、一知識人が感じる隔絶感や道徳的な潔癖ぶりが表白されている。この点では、いまの証言はまったくありふれたものの一つにすぎない。だが、政治に投与された自己から、政治的な私――「大衆」――が剥離する現象は、知識人と否とを問わず、政治の深いところで生起する事柄である。知識人の場合には、自らの「道徳的理念」の護持と、心理的衝動にもとづく行動との間の葛藤のような形で、この矛盾が意識されているのである。
 けれども、「一般大衆」の場合には、この同じことが、ほとんど自在な政治からの逃亡という形で解決されている。大衆とは、政治を選ぶ「自由」と同様にそれを棄てる「自由」をつねに留保する者たちのことをいうのである。彼はなによりも「生きんがため」に自己を政治に役企したのだから、逆に、政治がその一面性を発揮し、自我の解放を満足させなくなる時点で、彼は政治から自在に逃亡する。この大衆の自由は、政治の側からみればほとんどエゴイストの御都合主義のごとくに思われるのだが、この逃亡は、彼の政治参加の動機が、倫理的欲求にもとづく度合が深いほど、逆に著しいものとなるであろう。「わたし」はわたしが「選びたいから」革命を選ぶ、とさきにはいわれたのだが、この「わたし」の決意性からみれば、政治的形成はつねに本来的に一面的なものなのだから、政治参加の動機は、同時に、政治からの逃亡の動機ともなるのだ。自らの「道徳的理念」の実現をめざして政治に参加した一知識人が、この動機に矛盾する「大衆」を自分のうちに発見して悩むという構図が、いまの証言には示されていた。しかしこれとても、政治の形成と頽落の基底で、大衆のうちに生起する「生活 → 政治 → 生活」という循環の、知識人的な表現というにすぎないのである。
 
 
二 徹底的に政治的であることに耐えるところに政治の倫理がある
 
 大衆としての「わたし」の政治参加の性格は、このように同時に「わたし」の政治からの逃亡の構造をも規定する。大衆的な革命が、或る利益集団の権力増強の結果としてではなく、アモルフな大衆の熱狂的な反乱のうちからしか形成されえないという現実の事情も、革命を選び、革命から逃亡するこの「わたし」の性格に根拠づけられている。
 してみれば、党という政治は、その「客体」のもつこうした運動のなかでこそ、政治の二面性」を貫徹していかねばならない。自らをこのような客体のうちでしか根拠づけえないことを知りながら、それにたいして、政治の一面性に固執しようとする場所で、党の意識性が指定されたのも、もともとこのためであった。
 前章で経験されたように、党の戦術には、大衆にたいする倫理的働きかけという性格は本来何もなかった。党の戦術的実践が、政治的形成の狭い尾根道で、大衆とのつばぜり合いをくりひろげるものであったことを想起しよう。逆にいえば、客体とのもっぱら政治的な「たわむれ」の成果として、大衆のうちに形成される政治の狭い尾根道こそが、大衆――この私――の政治的経験史の道筋であった。党はただこの政治的経験史が、同時に、大衆を政治へと動機づけた倫理的欲求の実現のために、不可欠の条件をつくるのだと確言しうるだけである。
 
革命は革命の諸問題をこそ解決しなければならないのであって、われわれの問題を解決する義務をもっているわけではない。われわれの問題はもっぱらわれわれ次第なのだ。どんな状態、どんな社会構造でも、性格の高貴さとか精神の資質を創り出すことはない。われわれが期待できるのは、せいぜい、そういうものを創り出すのに好都合な条件だけなのだ。(9)
 
 さらにまた――
 
道徳的完成とか高貴さとかは個人の問題であって、革命はそこに直接かかわるどころではない。君にとって、その二つを結ぶ唯一の橋は、残念ながら君自身の犠牲という観念でしかないのだ。(10)
 
 いまや私たちは、このような言明を、「革命の諸問題」と「個人の問題」とを分断する、現実政治のシニシズムの居直りと誤読することはないであろう。「倫理的個人」の問題――「人の生き方」――にたいする厳しい断念を、政治自らが自覚することにおいて、この政治は逆説的にも倫理的である。政治のこの「禁欲の倫理」こそは、おそらく政治の唯一の倫理的な決断を意味するであろう。
ひるがえってみれば、すでに政治的遍歴史の主人公の性格が指摘された時点(第四章)で、「政治的個人」が「ひと」からいわば分離して定立されたのだった。それ以降、私の記述は、終始この「ひと」へのかかわりを断念してきたのだ。しかしくりかえすまでもなく、この断念が、政治における私を、「個人の問題」とはかかわりのない世界――かの「衣食住の管理化に関する実務と技術」の仕事――へ立ち還らせうるものではない。むしろこの断念の決意性において、私は倫理的個体からくる不断の強迫観念にさらされることになる。
 とりわけ、私の強迫観念は、倫理的個体の端的な事実としての死――政治のなかの死からやってくる。さきの証言でも、「道徳的完成とか高貴さ」とかの「個人の問題」を革命へ架橋する道が、ただ政治における私自身の犠牲――死という観念――にしかないことが告げられている。実際政治ほど死を濫費するものはないのだが、この死もまたいつも政治的に観念される。たとえば、「革命とモラル」の合体を信じたアナキストは、しかし政治との悪戦の末に、自分の死こそがこの合体の唯一の証しだと得心するのだった。政治とモラルとを「結ぶ唯一の橋」は文字どおり「君自身の犠牲という観念」しかないのだ、と。政治における死の観念こそは、政治が倫理と密通する極端な場所である。
死はどこでも本来的に個的で一回限りのものであり、それゆえにいわば反政治的なものの極に位する。しかしにもかかわらず、それは政治のなかの死――共同的死――として政治の場面で意味づけられ、一つのスローガンにまで仕立てあげられる。倫理的 個体と政治的共同性の極端におけるこの一体化は、ただ死者が文字どおり不在であることによってのみ、彼(死者)にとって耐えうるにすぎない。
 それゆえ、「個人の問題」を断念せんと決意する政治(家)にとって、死ほど危険なものはない。政治のなかの死に出くわすことは彼にとって宿命とまでなっているが、しかし、彼は死の淵に立ちながら死そのものをのぞき見てはならない。死が身近かなものであればあるほど、たじろぐことなく彼は瞼を閉じねばならない。政治のなかのどんな無名の死も、倫理を断念すべき政治の姿勢を、一瞬深い動揺におとしいれずにはおかないからだ。
だからまた逆にいえば、政治のなかの死を倫理化する誘惑を根底とするからこそ、政治が倫理的思考から免れることがかくも困難なのだ。
 ひとはいかにして、激しい大衆的観念の沸騰のなかにあって、なお徹底的に政治的であることが可能か。政治家として技能的手練れとなるということではなく、また逆に、面前の大衆から身を引くということでもなく、大衆的次元との密着と距離をともに了解し、政治的なものの幅と領域に徹底的に醒めていることが可能かどうか。マキャベリからレーニンまで、徹底した政治主義者たちが政治の歴史に占める独特の位置は、権謀術策や現実政治としてのみとらえられているが、じつは政治の論理がどの程度まで倫理的思考を免れうるかという、もっともやっかいな問題にたいする、彼らの把握の深さによるのである。政治を明確に限定して把握することによって、同時に、政治の無際限の倫理化から政治の固有の領域を防衛しようとする努力――、これこそは、たとえばレーニンの党の意識性であった。
 
革命は厳しいビジョンと現実との争ひであるが、その争ひの過程に身を投じた人間は、ほんたうの意味の人間の信頼と繋りといふものの夢からは、覚めてゐなければならない。
どこかに覚めてゐる者がゐなければ、人間の最も陶酔に充ちた行動、人間の最も盲目的行動も行なはれない。(11)
 
 こうして、「大衆政治家」の実際とは反対に、ひとは徹底的に政治的であるとき、かえって大衆の生の世界――倫理の世界――を去らねばならない。「ひとの生き方」に口だししてはならないとか、口だしすることがないとかいうことではない。また同様に、「ひとの生き方」への関与をやめて、実務の道へ政治が立ち還ることが可能となるわけでもない。政治は、決意して、ひとの生き方も実務の道をも断念しなければならない。これはちょうど、個的決意の極限で、ひとが大衆の生き方の世界を去らねばならぬことに対応するのであり、政治と個は、このようにその極北で、はるかに拮抗しあう以外にない。もとよりこのダイポール(二極)が、現実の政治や大衆の生活世界を「否定」することなどできはしない。いつも、政治や生活は現実のうちで生起するしかないが、その著しさを自らのうちで無化しようとする努力が、政治をも個をも、それぞれの極北へと追いやるのだ。
 
 「国家権力を奪取する」ことだとする政治的思考によって、ひとはいつも、党の武装蜂起という事件を過大に考えるけれども、武装蜂起そのものは、アナキスト的幻想にたいして、政治力学的に自明だというにすぎないのだ。むしろ、これが、彼我の政治的形成史の決定的な帰結だという点に、武装蜂起の重大な意味がある。反乱からいまにいたる私の歩みは、政治における客観的なものを析出し、これを身にこうむる過程だったのだが、二つの権力の対立状況は、この過程の、あるぎりぎりの成果なのだ。だから、この意味からすれば、蜂起という端的に客観的な事態の結着には、じつは、ここにいたる政治の形成史――政治における客観的なものの全形成史――がこめられていると了解しなければならない。 
ひとは、レーニンの「国家論」が、きわめて一面的な国家ゲバルト論だといって非難する。だが、四月の戦術提起以降、いまや党の武装蜂起を目前にひかえて、彼の『国家と革命』(八月)にとって、ほかにどのような国家論がありえたろうか。くりかえしいうように革命にあっては、私が自らを権力に形成するように、国家もまた自己を国家権力へと再形成するものだからだ。私も国家も、その日常の存在とはそれこそわけがちがうのである。たしかに、『国家と革命』の国家観は一面的なものだけれども、この一面性は、レーニンのせいなどというより、はるかに政治的形成というものの一面性ではないか。
 とはいってももちろん、革命過程では、国家や権力がたんにゲバルトなのだというのではない。これまで、あらゆる政治集団の形成が、「たんなるゲバルト」などの対極で経験されてきたことを想起するまでもないであろう。どだい、いつの世でも、革命に値する革命は、およそあらゆる分野の事柄にとってなにかであった。しかし、この革命を、もっぱら政治的出来事として経験するところに、私の政治的遍歴史ははじまったのだから、政治は、あらゆる「なにか」としての革命に対比するとき、やはり一面性をまぬがれることができないのである。
 反乱の共同性が「新しい生活」の生産として、しばしば政治的枠組をあふれ出るように、反乱や革命の全体性にたいして、政治的形成はすでに出発点からして一つの自己限定であった。まして一国家の領分内でこの国家観念を否認する――「法律に基礎をおかない」――共同性が根づいていくときここでの国家や反国家の観念に比べれば、武装蜂起が掌握しようとする「国家権力」などは、政治的に「狭い」概念なのである。国家権力とは、それゆえ国家そのものにとっても一面的な存在なのだ。
こうして、党の武装蜂起による国家権力の掌握は、国家の問題にけりをつけるのでもなければ、ここから国家が「解消」にむかうことを意味しているのでもない。むしろ、国家の問題がこの瞬間からはじまる。掌握した国家権力を運営せねばならない、という実際上のことではなく、政治は、国家権力にまで自己疎外した、政治的形成の一面性を破壊する仕事に、いまからとりくまねばならないのだ。かつて、この一面性を容認することを拒否した反政治の主張をしりぞけて、私は政治的なものの宿命の生成を追ってきたのだから、この一面性を破壊する仕事は、もはやたんに政治的な経験ではありえないであろう。国家権力の掌握は、党を――そして私を――国家というはるかに途方もないものへと、いまやさしむけるのだ。その結果、私や党に今度は何が起るのか――
 しかし、私たちの歴史は、これが本当に何であるかを、なお明示することに成功してはいない。「共産主義国家」とか「無階級社会」とかのあらゆるふれこみに反して、私はいまも、くりかえし、私の政治的遍歴の歩みへとさしもどされることになるであろう。
〔付記〕本書に収録できなかったが、レーニンの「党」をその「言語」の面から論じた「言語の永久革命――レーニンにおける政治言語の構造」(『現代の眼』一九七六年六月号)を本章の補論として参照されたい。