人々の共同性への希求は、これまでも常に『個人の孤独』がなかったかもしれない過去の記憶をたどりながら、『個人の孤独』がなくなるかもしれない未来(「この私は一人ではなかった」!)へと向けた社会変革の原動力となってきた

勉強会の趣旨と概要 2008.7.5



勉強会では、「労働」「自由」「共同」「老人」といったいくつか基本的なテーマを連続的に扱う。
 たとえば労働について言えば、介護労働という観点から介護の現場へのアプローチを行う。すると、そもそも労働という人間の活動には、古来どんな意味が与えられてきたのかが気になる。労働は人類の誕生に遡る活動だとはいえ、世界はこれに過大な意味を与えてきた。近代社会とはまさに労働をもとにして形成されている。
 しかし、かつて労働の基本的な姿であった生産労働が、現代では、サービス労働に席を譲っている。そうなることで労働の意味にどのような変更が加えられたのだろうか。社会の支配的権力の性格が変わったのだろうか……。

 労働の意味の変遷をこんな風に問うていくと、問題はおのずと労働論の範囲を越えていく。労働という人間活動を行う「この私」というあり方は、古来どのようなものとして意味づけられてきたろうか。
 古典的な自由主義と市場社会論は、「働き、所有し、交換する私」というものに最大限の価値をおいたひとつの(ブルジョア的な)ユートピア思想だった。そこでは「私であることは私たちであること」という夢が折り重ねられている。そかしその夢は今日でもなお、そのまま社会の秩序と繁栄につながるものだろうか。
「私が同時に私たちである」ことについて、実際には、労働組合運動と福祉国家が大きな役割を果たしてきた。反対に、社会がばらばらになり、「私」の社会的な意味が失われてしまえば、「私」の存在もまたさ迷い出ていくほかないだろう。「私」はたった一人では生きられない。

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 労働の喜びどころか、まっとうに働くことすら拒絶された社会では、さ迷い出した「私」の存在は、「私」の意味を仲間の一員であることに求める。しかし、かつてのように、労働組合や階級闘争には仲間は見いだせない。
 かくして気分とライフスタイルを共有できる小さな共同体があちこちに生まれている。そして、仲間から脱落する不安が心理学やカウンセリングやセラピーを繁盛させる。
「参加型福祉社会」をはじめとして、コミュニティー、地域共同体、ボランティア労働などをあちこちの政府が唱えるようになっている。会社は運命共同体だなどと思ってもらってはかえって迷惑だと、今では当の会社が言っている。
 いっそのこと、連合赤軍のような滅私奉公の共同体コミューンを作ろうか。このような情念がどこかでくすぶっているかもしれない。古来、私が私の意味や目的を共同体に預けるのということは、どのような意味だったのだろう。

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 この社会の第一階級は老人である。老人とは労働しない存在である。そして今では、高度成長期以降に育ち働いてきた世代へと、老人の世代交代が起きている。そして、この世代が今や介護労働の対象である。
介護という労働は、クライアント一般を対象にするサービス労働には解消できない特異な性格を持っている。加えて、労働することで形成された世代の老人の自分像が、介護労働者の共感と反発の相手になる。第一階級としてこの世代の見識が問われる。

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 労働をめぐる以上の断片的な指摘は、現代社会の何かに触れ得ているだろうか。そうだとすれば、断片はそれぞれ的確な現状認識と基礎的な思考によって裏打ちすることが必要である。


●テーマ
 1)労働
 2)自由
 3)共同
 4)老人

第一テーマ「労働」へのアプローチ

1.労働と労働の自己疎外
 ブルジョア的世界観、初期マルクス、自己疎外論の射程
2.労働者階級と福祉
 労働日をめぐる闘争、労働者階級、社会民主主義、福祉国家
3.労働の喜び
 西欧17世紀の労働、19世紀の労働観、労働の外部の喜び、共感
4.感情交換
 感情とは、アダム・スミス、同感・世話の交換、市場社会、道徳と倫理
4.サービス労働
 ポスト産業社会、感情労働、感情の搾取
5.介護労働とケア

教材
今村仁司:近代の労働観、岩波新書、1998
大庭 健:いま、働くということ、ちくま新書、2008
堂目卓生:アダム・スミス、中公新書、2008

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