人々の共同性への希求は、これまでも常に『個人の孤独』がなかったかもしれない過去の記憶をたどりながら、『個人の孤独』がなくなるかもしれない未来(「この私は一人ではなかった」!)へと向けた社会変革の原動力となってきた
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――階級、自然、国家そしてコミューン
長崎 浩 著 エスエル出版会(1984.1.16)
けれどもそれからじきに、全共闘運動がはじまった。『叛乱論』はこれにたいする私の政治論の最初の応答だったが、右のような経緯からして、私はこの「大衆反乱」を「近代にたいする反乱」ととらえることになった。資本主義の階級社会というより、近代世界の大衆のあり方のうちに、ラジカルな反乱の基底を据えようとしたのである。ポツダム組織という形をとった戦後市民の存在様式は、したがって、より古典マルクス主義的な階級対立にとって代られたのではない。むしろ近代世界における大衆の存在様式そのものの問題が、ラジカリズムの背景に顕在化しているのだと私は考えた。 こうして、「戦後」の後の近代世界とそこにおける大衆の存在様式、そしてそこから発する大衆のラジカリズムというトリアーデが、私の政治論のいわば存在論的なベースとなった。
目 次
序章 『叛乱論』以降
第一章 状況の意味(一) 戦後
第二章 状況の意味(二) ラジカリズムの二十年
第三章 階級のゆくえ
第四章 物象化と自然の氾濫
第五章 コミューン
第六章 党と国家ーコミューンの憑依態として
第七章 コミューンと近代
あとがき