人々の共同性への希求は、これまでも常に『個人の孤独』がなかったかもしれない過去の記憶をたどりながら、『個人の孤独』がなくなるかもしれない未来(「この私は一人ではなかった」!)へと向けた社会変革の原動力となってきた

「政治の現象学あるいはアジテーターの遍歴史」

長崎 浩 著 田畑書店(1977.3.25)

?版の復刻によせて

 1960年代から70年代にかけて、世界同時的に若者による異議申し立て運動が行われました。私はこの運動に沿うようにして政治思想の批評を発表していました。本書はその総決算のつもりで書き下ろしたものです(執筆は1974年、出版は1977年)。長く絶版になっていましたが、今回 ?版の復刻が始まりました。あれから30年、当時運動に参加した人、現在若者である人びとが、今日の社会のなかに本著を置いて読んでいただければ幸いです。

2008年9月

長崎 浩

 過日この国でも、政治的形成への熱狂が、政治における「理想主義」を爆発的に開花させた。あらゆる民衆の革命は、政治的形成へむけた人びとの理想(主観)主義――「革命のロマンチシズム」というなつかしい言葉(!)――を全面的に解禁する。けれども、この饒舌な季節のうちでも、「政治のリアリズム」は死にたえるどころではない。美しい「五月の革命」のなかで、その「客観性」を問うべき政治的言語の立場もまた、まぎれもなく成立する。
 人びとの行為の主観性と、政治的形成の客観性という、この政治に根源的につきまとう二元論の展開過程を、革命という危うい尾根道に沿ってこの展開過程を記述することを、私はかりに「政治の現象学」と名づけたのである。
 かつて人びとは、叛乱の圏内で、無際限な言葉の励起に身をまかせていた。そんな事実はなかった、とはいわせない。「政治の季節」ののちになって、ひとはただ忘れたふりをしているだけなのだ。またいつか、なんの方法上のケジメもなしに言葉が散乱するにちがいない。


目 次

第一章 集団の成立

第二章 反乱世界

第三章 政治的経験

第四章 政治意識の飛躍

第五章 政治集団の展開

第六章 政治権力

第七章 党

終章 回帰ー政治と倫理

あとがき

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